ガンバ大阪史上最高! “化け物”となった下部組織出身選手6人。日本を代表する優れた才能たち
MF:稲本潤一(いなもと・じゅんいち) 生年月日:1979年9月18日 在籍期間:1997年3月~2004年7月 クラブ通算成績:135試合17ゴール0アシスト 稲本潤一はジュニアユース時からガンバ大阪に在籍しており、そのころから才能の片鱗を見せていた。順調にユースに昇格すると、1997年にはトップチームへ昇格。稲本はシーズン当初から戦力として計算され、開幕戦のベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)戦では当時最年少記録となる17歳6ヶ月の若さでJリーグ初出場を飾り、このシーズンは27試合に出場している。 その後もチームの主力として、稲本はクラブを高みへ押し上げていく。強いフィジカルを活かしたボール奪取は日本人の中でも指折りで、それに加えて配球能力もあるなど、若きファイターにクラブは支えられていた。なかでも2000年シーズンはベストイレブンと優秀選手賞を受賞する圧巻の活躍で、最後まで2ndステージの優勝争いをする原動力となった。 その才能は海外にも認められる。2001年には名門アーセナル、翌年にはフラムとプレミアリーグのクラブへレンタル移籍で加入。2004年にウェスト・ブロムウィッチへ完全移籍となり、G大阪を退団している。2009年までの海外挑戦後は川崎フロンターレや北海道コンサドーレ札幌でプレー。G大阪での実働期間は4年半と短かったが、ファンの心に深く残る名選手だったといえるだろう。
DF:宮本恒靖(みやもと・つねやす) 生年月日:1977年2月7日 在籍期間:1995年7月~2007年1月 クラブ通算成績:341試合9ゴール1アシスト 中学生の頃からナショナルトレセンに選出されていた宮本恒靖は、高校進学時にガンバ大阪ユースへと加入した。なお、G大阪のアカデミーが発足したのがまさにこのときであり、宮本はユース在籍中の3年間に渡りキャプテンを務めていた。1995年、宮本はクラブ史上初となるユースからのトップチーム昇格を果たし、プロとして生き残る道を模索していくこととなる。 昇格当初はボランチを務めることもあったが、プロ3年目となる1997年からCBのレギュラーに定着し始め、2000年からはチームキャプテンに就任。176cmとCBとしては身長に不安が残る中で、読みの鋭さと状況判断能力の高さでピンチを未然に回避し、ディフェンスラインをまとめ続けた。また、優れたリーダーシップでチームの屋台骨を支え続け、2005年にはJ1優勝を達成した。 その後、ザルツブルクへの海外挑戦を経てヴィッセル神戸で現役生活を終えた宮本は、指導者として古巣に戻ってきた。2015年にアカデミーコーチを務め、2017年にはU-23チームの監督としてJ3を戦った。2018シーズンからトップチームの監督に就任し、2020シーズンにはJ1リーグ2位、天皇杯準優勝と一定の成績を残し、監督としてもチームに貢献している。