「さわやかイレブン」池田高の4年前に「元祖」がいた!? たった一度の甲子園、宿舎の大浴場で遭遇した国民的スーパースター
第96回選抜高校野球大会が18日に甲子園球場で開幕する。1924年に始まってから今年で100年。今から50年前の74年春は四国の山あいにある公立校の池田(徳島)が準優勝を飾った。わずか部員11人で旋風を起こした「さわやかイレブン」は、以後一時代を築くレジェンド校の代名詞になった。実はこの呼称には「初代」があったかもしれないという話。70年春に初出場を果たした、同じく公立校の筑紫中央(福岡)は甲子園の扉を開いた前年秋の地方大会の時点で部員が11人しかいなかったそうだ。福岡の「元祖さわやかイレブン」にスポットライトを当てた。(校名は当時) ■【関連】「さわやかイレブン」だけじゃない、少人数でのセンバツ出場列伝 福岡県大野城市にある学校の敷地には、出場記念の石碑が設置されている。筑紫中央の球児が春夏通じて唯一となる甲子園の土を踏んだ証しだ。とはいっても半世紀以上も前の話。一般の生徒はもちろん、現役の野球部員でさえ、実感を持てないだろう。「うちらが出たこと自体、奇跡みたいなもんやろ。それまで甲子園に行けるなんて、部員の誰も思ってないさ」。キャプテンで3番捕手だった渡辺利勝さん(71)=同県那珂川市在住=が笑った。学校には寄贈された当時の綿製のユニホームも1着ある。「汗をかいたら、重とうなる。風通しも悪かった」と、こちらは苦笑いした。
「けがしたら終わり、綱渡りよ」
春の選抜大会は、前年秋の地区大会(福岡の場合は九州大会)の上位校などから選考される。1969年秋の九州大会は福岡市の平和台球場で開催され、地元福岡(南部と北部)は他県より多い4校が出場できた。福岡南部3位の「滑り込み」で駒を進めた筑紫中央は快進撃を続けた。 初戦は飯塚商との福岡対決。地の利を生かして生徒や学校関係者が大挙して応援に駆けつける中、直近の夏の大会で2年連続代表となっていた強豪を3―2で倒し、準決勝も延岡商(宮崎)に4―0で快勝した。決勝は柏原純一さん(元南海)がエースだった八代東(熊本)に0―1で惜敗。それでも堂々の準優勝が評価されて選抜切符をつかんだ。 「(秋の)九州大会の時点での人数は11人ぐらいやった。控え投手が1学年下におったけど、捕手の控えはおらんかった。だけん、俺が出っぱなしたい。けがしたら終わり、綱渡りよ」 70年春の選抜大会。筑紫中央はメンバーとして14人を登録している。渡辺さんら新3年が4人で、新2年が10人。「(出場が)決まってから入ってきた子もおった。甲子園に行けるという理由もあったかもしれんし、それこそ部員が足りんで、集めたんかもしれん」と部員増の理由を明かす。