「さわやかイレブン」池田高の4年前に「元祖」がいた!? たった一度の甲子園、宿舎の大浴場で遭遇した国民的スーパースター
「あれが『甲子園の魔物』やったんかな」
驚くのは、選抜出場が決まってから退部した同級生がいたことだ。甲子園へ向けて、普段からきつかった練習が質量ともにアップ。渡辺さんらチームメートは「せっかく行けるのに、やめたらもったいないやないか」と懸命に説得した。それでも、その同級生は「もういい。俺は(練習に)付いていききらん」と首を縦には振らなかった。 「平和台(球場)と思ってやろうや!」と臨んだ選抜大会では、前年69年春の準優勝チームでもある堀越(東京)との初戦に1―6で敗れた。5回まで1失点と好投していた下手投げの主戦、内山田慶弘さんを援護できず、中盤以降に守備が乱れた。渡辺さんも2点を失った6回に一塁へ暴投し、二盗阻止を狙った送球も悪送球となった。「肩には自信があったけん、走られても刺しちゃると思っとった。いざスローイングしようとしたら、後ろから何か肩を引っ張られるような感じがしたったい。あれが『甲子園の魔物』やったんかな。投げたらセンターまで届くような大暴投たい」。扇の要も乱れ、チームは計5失策。9回に4連打で反撃し、零封負けを免れるのがやっとだった。 甲子園の印象を「大きかった。そして広かった。いや、実際はそんなに広くないっちゃ。まだラッキーゾーンがあったけん」と振り返る。むしろ球場以外での思い出が印象深いという。練習会場のブルペンでは、広陵(広島)の右腕、佐伯和司さんの剛球に「あんな球、見たことない」と衝撃を受けた。その後プロに進み、広島で通算88勝を挙げた佐伯さん、この大会で優勝した箕島(和歌山)の島本講平さん(元南海)、岐阜短大付の湯口敏彦さん(元巨人)=故人=は「高校三羽がらす」と呼ばれ、いずれもドラフト1位で高校からプロ入りした逸材だった。
最後の夏は大谷球場の砂ぼこりの中で…
宿舎は巨人が定宿にしていた兵庫県芦屋市の旅館だった。65年から73年まで9年連続日本一となった「V9」の真っただ中。関西遠征中だった巨人の選手と同じ屋根の下で幾日かを過ごし、大浴場では一緒になった。「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄さんには「僕たち、甲子園かあ! 頑張れよ!」と激励された。「甲子園に出たこともそうやけど、あれも奇跡やったかもしれんなあ」。国民的スーパースターとの〝裸の付き合い〟は今も忘れられない。 渡辺さんの本音は続く。「旅館の肉は今まで食ったことがないぐらい、うまかった。来る日も来る日も肉、肉、肉…ステーキとかすき焼きとか、どんどん出てくるっちゃ。これはあれやけど、あのうまさをもう一度味わいたくて、夏も甲子園に出たかったもんなあ」。夏の福岡大会へ向けた練習では、監督や部長の「また、旅館で肉食わせるぞ!」とのニンジン作戦もあり、筑紫中央ナインはすっかりその気になっていた。 最後の夏は福岡大会の準決勝で博多工に延長11回、3―4でサヨナラ負けを喫した。舞台は北九州市の大谷球場。相手打者のゴロを二塁手がさばこうとした瞬間、球場名物の砂ぼこりが巻き起こった。見失った二塁手がトンネルしたボールを、右翼手も見失った。「やっぱり夏、甲子園に行ってこそ、という気持ちやったからな」。不運の連鎖で春夏連続出場の夢を絶たれ、憧れの肉をもう一度味わうことはできなかった。