“心を握る”職人──マンガ『将太の寿司』が伝えるすしの神髄と心意気
シャリにネタを乗せるという、シンプルな構成の料理だが、その技術は非常に繊細で高度。すしの握りに要求されるのは、運ぶまではまとまっているが、口に入れた瞬間にハラリとほどける繊細なバランスだ。「硬さと柔らかさの追求」という、相反する技巧の世界になる。 原作/早川光、漫画/橋本孤蔵のマンガ『江戸前寿司職人きららの仕事』の主人公、海棠(かいどう)きららは、その高度な技術を、若くして身に付けていた。 職人の世界は伝統的に男性優位。しかし、女性ながら幼いころよりすし職人の祖父に指導されたきららは、すでに「本手返し」と呼ばれる伝統技法を自分の物としており、彼女が握るすしは「地紙」という扇を広げたような理想的な形をしていた。そのシャリはふんわり空気を含み、たとえ回転すしのネタであっても、銀座のすしと互角以上のおいしさとなる。 彼女は銀座の新店の職人として破格の条件を提示されるが、その理想は誰にでもおいしく食べてもらえるすし。オファーを辞退し、心臓病に倒れた祖父が営んでいた下町の店を再開するために修行の旅に出る。
すしマンガの金字塔
高度な技術が要求されるすし職人だけに、その修行は厳しい。しかも、日本において職人とは伝統的に尊敬される職業で、一流になるためには、優れた人格まで要求される。大相撲の横綱が、ただ強いだけではなく「品格」を要求されるのと似ている。 そうした「一流職人へと至る道」を描いたすしマンガの金字塔が、寺沢大介作『将太の寿司』だ。 主人公の関口将太は北海道・小樽のすし店、巴(ともえ)寿司の息子。しかし大手、笹(ささ)寿司の進出によって家業は傾いていた。起死回生を目指して「寿司握りコンテスト」に出場した将太の努力と工夫が東京の名人、鳳(おおとり)征五郎の目に留まる。中学を卒業した将太は、征五郎が営む鳳寿司で修行することになった。目標は日本一のすし職人となり、家業の巴寿司を日本一の店にすること。 修行といっても、いきなりすしを握る練習をはじめるわけではない。もともとこの世界には「シャリ炊き3年」という言葉があり、シャリを炊くだけでも、長い修行が必要とされている。 鳳寿司でも最初の1年は「追い回し」と呼ばれる雑用係で、その仕事は店の掃除や洗いもの。それを経てようやく玉子を焼くなど、下ごしらえを任されるようになり、一人前に握りずしを握ることができるようになるまではまず7、8年はかかる。 しかも店では、技術を教えてくれない。その基本姿勢は「目で盗め」。仕事の合間に先輩の仕事ぶりを見て、学んでいくことになる。 実際に、すし職人の修行は厳しい。現実の「すきやばし次郎」でも、入ったその日にやめてしまう人もいるという。将太も日々の仕事に追われることになるが、彼には実家「巴寿司」の再興という目標があった。 日々の雑用をこなした上で、さらに自分でも努力し、未明に開かれる魚市場に通ってネタの目利きを勉強したり、シャリの炊き方の秘密を知るために、人を訪ねてまわったりする。時に2時間しか眠れない日々もあったが、彼を応援してくれる人たちも現れて、将太は急速に実力を伸ばしていく。 「厳しい修行はただ技術を磨くためにあるのではない。心を磨くためにある」「技術が高くとも、心がともなわなくては一流の職人になれない」 こうしたテーマの背景には、どんな人の仕事もきちんと取り組むことで人間的な高みに至る道となり、日々の雑用もまた修行だ、という禅の思想があるのかもしれない。 『将太の寿司』は、そうしたすし職人の伝統を伝え、さらには「すしのシャリは新米ではなく古米が好まれる」などすしの基礎知識を広める役割も果たした。