“心を握る”職人──マンガ『将太の寿司』が伝えるすしの神髄と心意気
時代が移っても変わらぬ心
もっとも、この作品の連載がはじまったのは1992年。まだ20世紀だった。すしが世界に進出するメニューとなった21世紀の現代では、伝統的な職人修業は非合理的ではないか、雑用をさせるのもただ単に安価な労働力が必要だからではないか、という疑問も持たれるようになった。 それでは若い人が業界に入ってこない。現代ではすしの技術を教える専門学校も開かれている。「目で盗む」よりも「こうした学校できちんと技術を学んだほうがよほど合理的だ」といった意見も注目されるようになっていて、それはそれで、筆者も共感できるところだ。 そもそも「厳しい修行を通して心を磨き、人間的に成長する」なんてことが実際にあるのだろうか。 作中、将太の先輩だった佐治安人は、なにかにつけて将太につらく当たり、しかも幼なじみの女の子からの手紙を隠し、破っていたという、実にいやらしい人物だった。しかし、彼もすし職人としての修行を通して、尊敬される立派な人間へと成長していく。その姿には説得力があった。 現代では、高級店だけはなく、回転すしチェーンも世界各地に進出するようになり、すしの裾野はとても広くなった。筆者などには「心と心の対話」といった格式ばった世界だけではなく、すし店には気楽に入って気楽に皿を積み重ねて出てくる、カジュアルな分野であってほしいという気持ちもある。 しかし、今日もまたどこかで修行に励み、心を磨いている職人がいる。お客さんのために最高のネタを仕入れ、入念に時間をかけて下ごしらえをする。そうした「心を握る」職人がいることが、この分野の魅力となっていることも間違いないだろう。そう思いを馳せながらすしをつまむと、また味わいも深くなってくるかも。
【Profile】
堀田 純司 作家、マンガ原作者。上智大学文学部卒。主な著作は『僕とツンデレとハイデガー ヴェルシオンアドレサンス』、シナリオを担当した『まんがでわかる妻のトリセツ』(ともに講談社)など。集英社「よみタイ」にて『まんがでわかる「もっと幸せに働こう」』を連載中。編集者としても『生協の白石さん』(講談社)などのヒット作を企画、編集している。最新作(漫画原作)は『東大教授が教える 日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本』(講談社)。日本漫画家協会員。