医師が「命より大事なものがある」と断言する深い理由
老いればさまざまな面で、肉体的および機能的な劣化が進みます。目が見えにくくなり、耳が遠くなり、もの忘れがひどくなり、人の名前が出てこなくなり、指示代名詞ばかり口にするようになり、動きがノロくなって、鈍くさくなり、力がなくなり、ヨタヨタするようになります。 【写真】「うつによる仮性認知症」と「本来の認知症」の見分け方 世の中にはそれを肯定する言説や情報があふれていますが、果たしてそのような絵空事で安心していてよいのでしょうか。 医師として多くの高齢者に接してきた著者が、上手に楽に老いている人、下手に苦しく老いている人を見てきた経験から、初体験の「老い」を失敗しない方法について語ります。 *本記事は、久坂部羊『人はどう老いるのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。
武士はなぜ切腹できたのか
子どものころ、私は武士がなぜ切腹できたのか、不思議でなりませんでした。 健康でまだまだ生きることができるのに、死ねばすべてが終わるのに、なぜ自ら命を絶つのか。刀で腹を切るという身がすくみそうな方法もさることながら、切腹の理由が名誉のためであったり、謝罪の証であったり、降伏の代わりであったりしたことが理解できなかったのです。 しかし、切腹に関する本などを読んでいると、徐々にその気持ちがわかるようになってきました。それはふだんから常に「死」というものを意識して生きるというメンタリティがあったということです。 「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」と「葉隠」にもある通り、常に死を意識して生きることで自由度を増し、その場そのときを大事にし、自分の道を誤らずにすむという考えでしょう。うわべだけでなく、本気で考えているので、ときが来れば逃げることなく死を受け入れることができたのだと思います。 人は必ず死ぬのだから、それなら悪い死に方よりよい死に方をしたいという気持ちもあったでしょう。無様に生き延びても、恥と悔いに苛まれ、肩身の狭い思いでいるよりは、いさぎよく人生を終わらせたほうがいい。これはやはり命を粗末にする発想ですが、命より名誉や忠義や尊厳を重視した発想とも言えます。 今は命が何より大事な時代ですから、こんな価値観は一蹴されてしまうでしょうが、かつては命より大事なものがあったのです。