スクリーンタイムを設定しても「だらだらスマホ」がやめられない本当の理由
私は文章を書くことを生業としていますが、ついつい、一日のかなりの時間を「執筆を避けること」に費やしてしまいます。 コンピューターは、その目的には完璧なマシンです。理論上は執筆に使用するべきこのデバイス上で、思いつく限りの「気を散らすもの」に、簡単にアクセスできるのですから。 この状況に関してもっともいい点は、自分が書く仕事をちゃんとしていない、という罪悪感を、非常に簡単に持てることでしょう。
スクリーンタイムは「罪悪感を生む」機能
罪悪感を持たせるための最適なツールが、スクリーンタイム機能です。AppleやAndroidの端末に搭載されているこの機能を使えば、各アプリを使用した時間を確認できます。 スクリーンタイム機能は、罪悪感を、自省や変化を本当に促すわけではないかたちで抱かせるという点では、完璧なアプリケーションです。単に「いやな気分」にさせるだけなのです。 お気づきですか? 私は罪悪感を抱きつつも何もしないわけですが、ある意味ではそれが、スマホのOSにこうした機能が組み込まれている理由の一部だと思うのです。 アプリの多くは、中毒性を持ち、日々の習慣になるよう意図的に設計されているにも関わらず、スクリーンタイム機能は「つい開いてしまう責任」をアプリ側ではなく私へと、巧妙に押し付けるものなのです。 この議論を展開するために、私は「ポイ捨て」という問題について話そうと思います(関係ないと思って、ここで読むのをやめないでくださいね)。
本当に責任はユーザー側にあるのか?
ポイ捨ては明らかに悪いことです。それを否定するつもりはありません。ですが、あなたが目にしてきたポイ捨て防止のメッセージの多くは、実は企業によって資金提供されています。 それも、地面に捨てられる無駄な包装材を生産する企業によって資金提供されているのです(これについてはあとで詳しく説明します)。 要するに、企業があらゆるものを過剰包装しないようにする規制をつくれば、これほどポイ捨てが増えることはないはずですが、それでは企業の利益が減ってしまう、というわけです。 ポイ捨て防止キャンペーンは、規制を防ぐための特別な企業戦術だったのです。Bradford Plumer氏が『Mother Jones』に寄稿した文章を紹介しましょう。 「キープ・アメリカ・ビューティフル(KAB)」という団体が、1953年に誕生しました。 これは、使い捨て缶と使い捨てボトルをそれぞれ発明した、包装業界リーダーのAmerican Can CompanyとOwens-Illinois Glass Companyを中心とする包装材業界が、Coca-ColaやDixie Cup Companyといったほかの業界リーダーと手を組んで設立した団体で、現在も活動を続けています。 KABは潤沢な資金を得て、環境に対する悪い習慣を、企業ではなく個人のせいにする大規模なメディアキャンペーンを開始しました。 これは陰謀論ではありません。Plumer氏の報道が明らかにしているように、関係者は皆、自分の動機について率直でした。 私は、KABで働くすべての人が皮肉屋だと言っているわけではありません。 なかには、本気でポイ捨てを減らしたいと考えている人もいるでしょうし、ポイ捨てを減らすのは良いことです。 ただ、私が言いたいのは、企業にとっては、無駄な包装慣行の責任を個人へ転嫁することに価値があり、その価値こそが、大企業がそうした戦術に資金を流すおもな理由なのだ、ということです。 なぜスマホにスクリーンタイム機能を搭載するのか? 私が思うに、スマホのスクリーンタイム機能も似たようなものです。AppleにもGoogleにも、ユーザーのスマホ利用習慣を心から心配している人たちがいることは確かでしょう。 スクリーンタイム機能は、そのような真剣な懸念からくる部分もあるのでしょう。 ですが、同時に、この機能は、ポイ捨て防止キャンペーンと似たトリックを演じています。 私たちがスマホで過ごす時間に関する責任を、テクノロジー業界からそらして、個人に負わせるように巧妙にすり替えているのです。