自衛隊のノンキャリアの父親の元で育ち、小沢一郎を「天童よしみ」と形容…立民・野田佳彦は石破自民党を破れるか
党内の調整役としての能力を買われて
野田氏は、社会主義体制は失敗だったと歴史が裏づけていると捉えているものの、冷戦終結後の市場原理主義や新自由主義も格差を広げてきたため万能ではないと評価している。そこで両者のバランスをとる「中庸の政治」が重要であると説く。「一億総中流」と言われた分厚い中間層の復活、という理念は首相在任当時も今も変わっていない。 過去には第二次世界大戦のA級戦犯は戦争犯罪者ではないという歴史認識を示して物議をかもすなど、野田氏は立憲民主党内では保守的なポジションであるが、経済問題に関してはセーフティーネットの拡充によって格差是正をはかる「大きな政府」路線を掲げる。左右どちらの立場にも大きく振れることがない分熱狂的な野田支持者は多くないものの、政権交代を目指すにあたって党内意見の調整役としての能力が評価されている。
小沢一郎を「天童よしみ」にたとえたことも
2003年に民主党と小沢一郎氏率いる自由党が合併した際には、若手中心だった民主党に自民党幹事長まで経験した小沢氏が加わることを「モーニング娘。に天童よしみが入ってきた、という感じ」とたとえて当時の違和感を振り返っているが、2009年の政権交代の立役者の1人として、民主党の弱点であった地方の基盤を小沢一郎氏が築いたことを野田氏は評価している。 ただ、野田政権末期の消費税増税に関する民主、自民、公明による与野党を超えた合意、いわゆる三党合意を巡って反対した小沢氏の一派は民主党を離脱。政権運営の不安定化を招き下野するきっかけとなった。 一時は「顔も見たくない関係」と小沢氏との関係を表現したものの、12年の時を経て代表選挙に野田氏は小沢氏の協力を得て当選を果たすこととなった。政治とカネに関わる問題で自民党が支持率を落とす中、再び政権交代を目指す意気込みで恩讐を超えたと説明されている。
「論功行賞人事」と批判されるも、過去には批判する側に
代表選挙を経て発表された野田新体制による立憲民主党の新執行部には、幹事長に小川淳也衆議院議員、政調会長に重徳和彦衆議院議員が据えられた。枝野幸男氏を中心とした党内リベラル勢力の「サンクチュアリ」から代表選挙直前に離脱して野田氏の支援に回った小川氏や、野田氏に代表選出馬を依頼した「直諫の会」の会長をつとめる重徳氏の登用に関しては論功行賞人事だとの党内の批判は少なくない。 遡ること22年前の2002年の民主党代表選挙に、当時若手だった野田佳彦氏が立候補するも現職の鳩山由紀夫氏が当選した後の幹事長に旧民社系のグループをまとめて鳩山氏を支援した中野寛成氏を据えた論功行賞人事に反発していた急先鋒は野田佳彦氏だったことを思い起こさせる。鳩山代表はこの直後の補欠選挙の敗北や小沢自由党との統一会派結成に絡むゴタゴタで辞任を余儀なくされたが、解散総選挙やそれに伴う他の野党との協議など似た問題を抱える野田氏は同じ轍を踏まずに乗り切ることができるだろうか。