「中途半端はダメ」第一生命ゴルフ部を牽引し続けた飯塚均さん【会社員ゴルファー紹介】
個の活動から“背負う”身に
入社以降、地方の営業所で営業職員を束ねる業務に就いていた飯塚さん。しばらくはゴルフとつかず離れずの距離感だったが、30代半ばを迎えたころ実家近くの赤城GCの会員権を購入。倶楽部競技出場するようになり、クラブチャンピオンを何度か獲得した。その後、業務内容が法人相手の営業へと変わったことがきっかけとなり、さらにゴルフとの距離が縮まることになる。 「とはいえ当時は平日に休める風潮でもなかったので、試合といえば日曜日の倶楽部競技くらいでした。それが変わったのは40代半ばのころでしょうか、当時弊社はゴルフの実業団競技に出ていたのですが、その増強ということで声がかかったんです」 次第に好成績が出るようになり始めたころ、会社の上層部から「そろそろゴルフ部を創ったほうが良いのでは」という声が出て、飯塚さんはゴルフ部創設に注力することになる。 「そこから多くの人に声を掛け、150名以上が集まりました。ただそれだけ人が集まれば温度差もあります。一方で部員からは年会費3000円をいただいていてそれが貴重な部の財源となっていたわけですから、なるべく多くの人に参加してもらって、みんなが『ゴルフ部に入って良かった』と思える場を設けられればという思いで頑張っていましたね」
この人がいれば周りが笑顔になる
いちサラリーマン競技者から、会社の名と150人以上のメンバーを背負う身となった。部のために奔走しながらも、キャプテン引退間際までスコアの“稼ぎ頭”として活躍を続けた裏に、1つのこだわりがあった。 「取引先のコンペでも、とにかく真剣にやる。中途半端なスコアでは『どうせゴルフばっかりやっているんでしょ』と言われるんですよ。だから突き抜けないと。そうすれば名前も覚えてもらえ、リスペクトされる」 仕事、家庭、部の運営。限られた時間のなか結果を残すべく、40 代、50代は「毎日のように家の絨毯からアプローチ練習をしていた」という飯塚さん。創部時もだが、こういった陰の苦労を一切見せず、語り口は穏やかそのもの。「飯塚さんがいると周りの雰囲気が柔らかく、自然と笑顔になるんです」と石澤さん。 キャプテンの座を退き、競技ゴルファー第3章を迎えた。黒く焼けた肌は「趣味の農業のほうです」と笑うが、まだまだ後輩たちの精神的な支えであり続けるだろう。