海外旅行中なのに自分の母語が話されている違和感。「世界で一番孤立した街」への旅
初めての南半球への旅
シドニーで国内線に乗り換え、さらに5時間ほどかかる。午前出発の便で、雲一つない晴天だから、巡航高度まで上がった後も視野を遮るものはない。窓側の座席から遥か下をゆっくりと過ぎてゆく地面を眺める。野原や住宅地がしばらく続いたが、西へ進むうちに黄色や赤茶色の色彩が増え、気がつくと砂漠に突入している。あちこちで、まるで地図上の境界線が現実になったかのように、驚くほどまっすぐな道路が土地を区分する。それを除いて、人間社会の痕跡は見当たらない。 目的地に近づくにつれ、人工物が再び見えてくる。特に目立つのは、この街を成り立たせた採石場だ。上空からだと地形の凹凸は分からずすべて同じ平坦な表面に見えるが、採石場の深さははっきりと分かる。ところどころ、地面に穴が傷口のようにぽっかりと開いて、地下の鮮やかな色を覗かせる。その先にはまた森が現れ、そしてもう一つの港湾都市が見えてくる。 パースは「世界で一番孤立した主要都市」と言われているが、地理的にいえば、そのランキングで1位を取るのは四面を太平洋の大海原に囲まれているホノルルだそうだ。しかし、ホノルルの心理的な近さは考慮すべきだろう。毎年、世界中から大勢の観光客を迎え入れるし、テレビといい映画といい、頻繁にメディアに登場する。地理的に疎外されているとはいえ、ホノルルは世界に親しまれている都市だ。それに対してインド洋と砂漠地帯に挟まれた、鉱業の街であるパースは、孤立を実感させる。都市が臨む海岸が徐々に近づいてくる間、世界の果てに向かって降下していると、ほんの一瞬思える。 出発前に、シドニー出身の友人に旅行のことを告げる。 「パース? 逃亡でもしているのか?」 * 南半球への旅は初めてだ。西へ東へと、太平洋や日本海を渡って旅することは比較的よくあるが、赤道を越えて移動したことは今までなかった。機内のフライトマップの上に日本とオーストラリアを繋ぐ弧が美しく弛んだ。東西の航路で太平洋を渡り、北極に近づく際に起こる形の歪みはなかった。 時差は1時間だけだ。夜遅く羽田で乗り込んだ旅客機が翌朝着陸すると、機内の浅い眠りから目覚めた僕は妙に興奮している。何時間も国際線に乗っていたのに時差ボケがないのは不思議な感覚だ。うたたねしている間に、東京から少し離れた地方空港へ飛んだだけだとさえ思える。何かを忘れたのではないか。海外旅行に必ず伴うはずの通過儀礼を受けそびれたような不安が湧き上がる。しかし旅客機を降りて、2月なのにいきなり夏のものとなった空気を肌に感じると、渡ってきた距離を意識せざるを得ない。 シドニーでの乗り継ぎを経て、国内線でパースに到着し、空港前のタクシーに乗り込んでも、この不均衡な、目まぐるしい感覚は続く。遠くへ来たのか、それともまだ近いところにいるのか、体感では分からない。初めて訪れる街なのに、馴染みがある。馴染みはあるものの、どこかが違う。 「どこへ?」 僕がホテルの住所を伝えると、運転手はバックミラーでこちらの顔を窺う。 「アメリカ人か。パースへようこそ」 口を開くまでは、気がつかなかったらしい。 思えば、生まれ育ったアメリカ以外、英語を公用語とする国を訪れるのは今回が初めてだ。国境を越えると、そこに異なる言葉、異なる声、異なる文字が待っているというぼんやりとした期待が今までの経験によって植え付けられているけれど、オーストラリアで待っていたのはもちろん他でもなく、自分の母語だ。当たり前のことで、出発する遥か前から分かっていた。しかしタクシーのラジオから流れてくるニュースの英語を耳にすると、当惑と、判然としない決まりの悪さが混ざったような感覚を禁じ得ない。 空港から街の中心部へ続く道路は意外に細く、タクシーが時として渋滞に遭う。ここ最近は人が増えてきたと運転手は言う。年々、パースの人口が増加して、インフラの整備が追いつかないそうだ。昔は静かでよかったのになあ、と彼は懐かしそうに付け加える。僕は止まった車の窓から、道端の並木を眺める。初めて見る種だ。地元で見た木とも日本で見た木とも違う。南国、という日本語がふと思い浮かぶ。だがその並木の後ろに並ぶ家屋は、見覚えのある建築様式を呈している。 タクシーが再び進み出す。ダウンタウンを通りながら、運転手は親切に20世紀のパースのことを語ってくれる。その背景にラジオのニュースが絶えず流れ続ける。砂漠でキャンプをしていた観光客が行方不明になっているらしい。 「街中では、不審者に気をつけな」 「不審者?」 「ああ、この街にはいろんな人が流れ込んでくるからな。居場所がないような人。まあとにかく関わらないほうが無難だ」 僕は無言で頷く。不審者と旅行者と現地人とを、どのように見分けるのだろう。