海外旅行中なのに自分の母語が話されている違和感。「世界で一番孤立した街」への旅
パースの美術館で出会ったある作品
長旅の疲れが溜まるだろうと予想したから、1日目の午後には予定を入れなかった。ホテルにチェックインして、そのままゆっくりするだけでいい。だが荷物を下ろしてベッドに座り込むとすかさず動きたい衝動に駆られ、また出かけていく。 当てもなくパース駅前を歩いていると、文化施設の並ぶ広場に迷い込む。西オーストラリア州立博物館や西オーストラリア州立美術館など、新しそうで風格のある建築物が林立している。美術館で開催中のアボリジナルとトレス海峡諸島民の展示のポスターが目に付く。入口の近くに掲示された紹介文には、このコレクションのスローガンが書かれている。 「Our story is not one story, but many stories to share」 我々の物語は一つではなく、共有し合う複数の物語でできている。 がらんとした館内を回り、作品を鑑賞していく。中でもサンドラ・ヒルという画家の作品が気になって、繰り返し彼女のコーナーに戻ってくる。展示されているのは「Home-maker」(主婦)というシリーズで、タイトルの通り、さまざまな家庭的なシーンが漫画風に描かれている。主婦が立つ台所に、帰宅したばかりのスーツ姿の夫が入ってくる。カクテルパーティーで談話している人たちの顔の間から、主婦の顔が覗く。美容院で、他の女性に囲まれて主婦も髪をセットしてもらう。どの絵も、主婦を除いたほとんどが白人とみえる。色鮮やかな背景に反してモノクロで描かれた彼らの顔は、新聞広告から飛び出たような色合いで、全員似たような穏やかな表情をしている。スーツやドレスを着ている彼らとは異なり、身体に毛皮を纏っている主婦の顔だけが茶色の絵の具で塗られている。その顔はどの絵でも同じように不機嫌そうな表情をしている。怒りや不満だけではない。自尊心も入っている。納得がいかなくて、譲れないもののある顔だ。 作品に添えられた、ヒル自身の説明文によると、これらの絵に描かれているのは、1950年代にオーストラリアで行われた強制的同化の政策だそうだ。先住民のコミュニティは核家族ごとに分けられて国家が用意した住宅で、白人の指導者の下、新しい生活習慣を教え込まれたという。ヒル自身もその制度を経験させられたのだ。 ヒルの絵を見ながら、僕が到着したときから抱いていた違和感が、より明確になってくる。この土地まで広がり、その他の言葉と文化を容赦なく追い出す英語の脅威を感じずにいられない。 皮肉なのは、いうまでもなく僕が生まれた故郷にも似たような歴史があるということだ。先住民との対立は別に隠された歴史ではない。過酷な未開の地へ果敢に臨んだ開拓者なんていうイメージは、国民的な伝説となっている。日本語で「欧米」と「西洋」という言葉が違和感もなくほぼ同義的に使われているくらい、北米大陸におけるヨーロッパの植民地主義は残酷で徹底的なものだった。20世紀に入った時点で、僕の故郷には強制的に同化させるほどの先住民はもはやいなかった。 馴染みの言葉と文化がパースにもあるということに対して僕が違和感を覚えるなら、先に故郷の歴史から考えるのがいいだろう。 * 夕方になるとエリザベス・キーへ歩き、海を見渡せるカフェでコーヒーを注文する。あと少しで日が暮れる。沖で揺蕩う貨物船は水平線に向かって進んでいく。離れた大陸の離れた都市でも、しっかりと世界のさまざまなネットワークに組み込まれている。 パースは美しくて、穏やかな街だ。これから一週間にわたって、僕はこの街を歩き、書店を巡って、料理を嗜む。東京へ戻るために再び空港へ向かう際、砂漠へ出かける時間がなかったことを後悔する。同じタイミングで中央線の通勤ラッシュの光景が一瞬だけ思い浮かび、搭乗口へ進む足がいささか重くなる。でも同時に、パースのことを馴染みやすく感じるほど、脳裏に潜んでいる不安が育っていく。 パースにはいろんな人が流れ込んでくると言われた。何かを探している人、何かから逃げようとしている人、居場所がない人。僕が逃亡する理由は記憶にない。だが理由がないと断言することもできない。 * 次回は7月20日公開予定です。
グレゴリー ケズナジャット(作家)