ぬれぎぬで甲子園の夢断たれ、死ぬ覚悟 「部長はこの野郎と思ったんじゃないでしょうか」 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲<7>
でももっとつらい状況があった。私の復部が認められたのは3年生になった翌33年5月末でした。すでに夏の大会まで3カ月を切っていたが、大会には間に合う。最後のチャンスと思ったら、それも奪われた。復帰しても3カ月は公式戦に出られないというルールがあった。部長はソレを知りながら(処分通告から)1カ月近くたって休部届を出していた。すぐに出しておけば、出られたんです。
なぜ、部長は…って。思い当たることがありました。以前、部長に呼ばれたときです。「プロ野球のスカウトが来たら相談しなさい。部長は俺だぞ」と。それは当然ですよね。「じゃ、何で(前部長の)中島先生に相談するのか?」と言われました。まだ17、18歳の子供だから「私は中島先生に学校に入れてもらいました。これからも中島先生に相談します」と生意気な態度をとったことがありました。部長は、この野郎って思ったんじゃないでしょうか。後で聞いたら、私のことが嫌いだったようです。
休部は耐えました。でも逆算してまで、部長は私を試合に出さないようにしていた。心底腹が立った。許せない。露骨な仕打ちです。そのときだけは〝敵(かたき)をとる〟。そして自分も死のうって。そうでもしない限り、この怒り、悔しさ、抑えきれない気持ちになっていたんです。
人生で私は〝3度死にかけて〟います。4歳で大やけど、5歳で原爆。そして3度目は夢を断たれて絶望からの死…です。(聞き手 清水満)
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