【ゲーデルの不完全性】真であるが証明できないことってなに?クレタ人の預言者は言いました「クレタ人はいつも嘘つきだ」【嘘つきのパラドックス】
「嘘つきのパラドックス」を考えると
一連の準備が終わり、いよいよ核心に近づいてきた。 まずは「嘘つきのパラドックス」である。これは新約聖書からの引用とともに流布されている。 彼らのうちの一人、預言者自身が次のように言いました。 「クレタ人はいつも嘘つき、悪い獣、怠惰な大食漢だ」 この言葉は当たっています。だから、彼らを厳しく戒めて、信仰を健全に保たせ、ユダヤ人の作り話や、真理に背を向けている者の掟に心を奪われないようにさせなさい。(「テトスへの手紙」第1章12‐14節より) 一見、人種・地域差別以外には、なんの問題もない文章のようだが、ここで冒頭の「彼ら」はクレタ人を指している。ということは、嘘つきのクレタ人が「クレタ人は嘘つきだ」と言っているわけで、そんな言葉を信じていいのか、という話になる。
この文は、本当なのか?嘘なのか?
話をわかりやすくするために、「この文は嘘である」という文を考えてみよう。 この文が本当だとしたら、この文は嘘である。この文が嘘だとしたら、この文は本当である。うん? いったい、どっちなのだ? 意味論の範囲にとどまるかぎり、このどっちつかずの循環は無限に続いてしまう。 本書では、この嘘つきのパラドックス自体に深入りすることはせず、ゲーデルの「応用」に話を進めることにする。 ゲーデルは、この嘘つきのパラドックスにヒントを得て、意味論から構文論へと舞台を変え、証明できることと真であることは別であることを示すために、「この命題は証明できません」ということを証明することにしたのだ。 ぐるぐる循環し続ける「この文は嘘だ」から、「この命題は証明できない」へ脱出する。そんな流れである。 もし、本当にそのような命題が存在することが証明できたら、大変なことになる。 だんだん「不完全性定理」にふれるための確信に近づいてきました。以降の記事【証明できないことは証明できるのか?「自己言及」という無限後退を退けた、天才・ゲーデルの発想「ゲーデル数」とはなにか!】では「ゲーデル数」と呼ばれる考え方について見ていくことにします。
竹内 薫(サイエンス作家)