【高校野球】三位一体の変革元年 「自治・自立」で29年ぶり夏甲子園目指す鹿児島商
気配り、目配り、心配り。掃除を欠かさず、活動において「環境整備」に重きを置く。塗木監督は昨年4月の赴任以来、球場周辺に生い茂っていた草木を刈り取った。室内練習場も整頓し、心の鍛錬なくして、技術向上はないとの方針を一貫としている。 鶴丸OBの塗木監督は鹿児島南では95年夏に県大会準優勝、頴娃では03年、志布志では11年に、センバツ21世紀枠の鹿児島県推薦を受けた。大島では左腕・大野稼頭央(ソフトバンク)を擁した22年春のセンバツへ導き、ハンディのある離島でも実績を残した。約30年のキャリアから「5年をメド」で成果を残せる自負がある。指導方針が確立されているからだ。
「鹿商はひとつ」の意味
古豪復活への機運が高まる。1898年創部し、春12回、夏13回の甲子園出場を誇る。かつては鹿児島実、樟南で「御三家」と呼ばれていたが、鹿児島商の夏の甲子園出場は1995年が最後。学校改革と並行して、学校の看板である硬式野球部強化に本格着手。2018年には同窓会(鳥井ヶ原昭人会長)の尽力により、鹿商桜岳寮が完成(36人収容)。県内の遠方者、離島出身の生徒を受け入れる態勢が整った。
指導陣も充実の7人体制。小椋真介氏(元ソフトバンク)が昨年4月に外部コーチに就任。仕事の傍らでOB2人も強力支援。1986年夏の甲子園4強進出時の捕手である濱田健吾コーチは「卒業生の思いも背負っている」と覚悟を語れば、日高貴徳コーチは「子どもたちは自分で考えるようになり、野球も変わってきた」と手応えを得ている。
モットーは「鹿商はひとつ」。同窓会、野球部OB会など、支援組織が確立。地元の熱狂的ファンも多い。塗木監督は「地域、学校、卒業生から求められている言葉」と受け止める。現場は部員、指導者、保護者が三位一体で勝利を目指す。主将・坂口は「全員で最後までやり切り、鹿商で甲子園に行く」と話し、三番・水谷幸輝は「古豪と言われていますが、新たな強さを見せる」と語った。昨秋以降、髪型は個々に任せている。野球は自己判断能力が試される競技。「自治・自立」で勝負を挑む。 取材・文=岡本朋祐 写真=上野弘明
週刊ベースボール