東日本大震災から13年、異常高温で再び危機に陥った石巻「十三浜ワカメ」を守る住民と消費者の絆
東日本大震災から13年が経つ。津波による多くの犠牲から復活した三陸の名産「十三浜ワカメ」を、異常気象による高水温が襲った。今季の収量激減という漁師たちを支えるのは街の消費者だ。生業を未来まで守るというつながりの力を追った。 *** 肉厚で美味な「十三浜ワカメ」の産地として知られる宮城県石巻市の十三浜地区。東日本大震災の津波で多くの身内を失った住民たちは、山林に住みかを拓き、壊滅した浜の生業を復活させた。しかし、三陸の海は猛暑の昨夏からの異常高水温の影響で、今が収穫期のワカメがすでに半減、さらに悪化の事態にある。新たな自然災害がのしかかる住民に寄り添うのは、震災後、十三浜ワカメを買って食べ応援を続ける消費者たちの会。「支援とは、良い時も悪い時も、生業と暮らしを守っていくこと」と共に未来を模索する。
津波から復活のワカメ、海の異変で半減
十三浜は石巻市北端、三陸海岸の追波湾(北上川河口)に面し、小さな入り江や浜に13の漁業集落が連なり昔から豊かな海産物で知られた。2011年3月11日の東日本大震災では、波高15メートル前後とされる大津波が全集落をのみ込み、当時の住民約2400人のうち296人が死亡、行方不明になった。二つの集落が消滅し、生き延びた住民の多くは石巻市街などへ新天地を求め、残る選択をした住民は仮設住宅を経て集落ごとに高台へ移転した。 2年ぶりの取材で訪ねた十三浜の大室地区も、漁港に面した集落跡は共同作業場や漁具小屋が立つのみ。震災前の53世帯の約半数の住民が、海抜30メートルの山林を拓いた集団移転地に新しい家を建てて暮らす。その一人が元十三浜漁協組合長、佐藤清吾さん(82)。津波で妻と孫、3人の兄姉、2人の甥、10人のいとこを失いながら、震災後も(改組した宮城県漁協)北上町十三浜支所運営委員長を担い、壊滅したワカメ養殖などの生業再生に尽力してきた。 清吾さんは顔を合わせるなり、「近隣の牡鹿半島(石巻市)の漁師仲間を回ってきたのだが、大変なことになった」と嘆息をついた。「(養殖が盛んな)カキがほとんど死滅し(同じ養殖の)ホヤも大半が死んで海に落ちたそうだ。カキの水揚げは例年5月まで続くが、年が明けたら終わってしまった。去年の異常な暑さで海水温も高くなったためだ」 同じ被災地、牡鹿半島名産のホヤは、津波被害からの養殖復活も束の間、大消費地の韓国が福島第一原発事故を理由に輸入を禁止し、市場縮小と値崩れから生産者の廃業も相次いでいた。昨年夏の海水温が養殖の適温を上回る状態が続き、大量に斃死(へいし)したのだ。 気に掛かっていたのは、十三浜ワカメへの影響だ。ワカメの養殖は例年、地元の海の水が冷たくなる10月に、養殖ロープに種(稚苗)を挟み込んで沈め、育てる。が、昨年夏は記録的猛暑で近海の海水温は平年より4~5度も高く、秋になっても暖かいままだった。 「海水温が22度以上だと種が死ぬ。冷えるのを待つうちに11月、12月と時期が遅れた。海に入れた養殖ロープに種が根付かぬうち、今年1月に大しけに襲われ、海に落ちてしまった」と清吾さん。1月下旬、低気圧の強風と高波で海が二昼夜、大荒れになったのだ。 訪ねた時期は例年、大室など各漁港で朝、漁師たちが船いっぱいに刈ったワカメを(塩蔵のため)大釜で湯通しする作業がたけなわで、もうもうたる湯煙が風物詩でもある。「だが、今年はまだ始まらない。収穫するものがないんだ」。生き残った種もあるが、半減だという。隣接する南三陸町や気仙沼市でも被害は甚大と『河北新報』が報じた。 大しけはこの後も現地を襲い、ワカメの被害はさらに続いた。