東日本大震災から13年、異常高温で再び危機に陥った石巻「十三浜ワカメ」を守る住民と消費者の絆
住民に学び「わかめクラブ」立ちあげ
「十三浜わかめクラブ」。仙台市内のシェアオフィスに事務所を置く市民団体だ。代表の小山厚子さん(67)はもともと月刊誌「婦人之友」の地元記者で、2011年3月下旬、被災して間もない十三浜に入り、初めて住民の声に触れたという。避難所の女性たちから「男の人に頼みにくい、ブラジャーを持ってきて」と言われ、お礼に、と黒いものを手に載せられた。海藻のヒジキだった。ちょうど3月11日が十三浜のヒジキ採取の解禁日で、午前中に総出で摘んだという。避難生活の貴重な糧を分けてくれた気持ちに打たれながら、「住民が暮らしの資源を大切に管理し、共生してきた歴史に触れた」と振り返る。 最初の十三浜訪問でハガキも100枚持参した。「電話、郵便局もなくなり、誰かに近況を伝えることも難しい」と慮ったのだが、住民たちからは「どこにハガキを出せというの。家も住所録もなくしたのに」と半ば怒られた。小山さんは「独りよがりの支援は無意味」と思い至り、何度も通って十三浜を知ることに徹した。清吾さんら漁師たちから、ワカメ流出で1年の収入を失い、翌年の養殖再開へ必死に働く状況を語られた。単発の現地レポートでは足りず、さらなる話し合いから、継続的な応援を立ち上げることに思い至った。 「十三浜わかめクラブ」は養殖復活の翌13年に発足した。「婦人之友」誌上でワカメ、コンブの購入を呼び掛け、小山さんが清吾さんら生産者とのつなぎ役になって、全国の読者から主婦のグループ、個人まで毎年1000件近い注文が寄せられた。その間、小山さんは十三浜の暮らしを伝える「通信」を書き続け、5月の袋詰め、発送作業には、「食べる人が作る人の現場を学ぼう」と購入者たちと現地を訪ねて参加、住民と交流してきた。 20年4月小山さんは活動を非営利任意団体「浜とまちをつなぐ十三浜わかめクラブ」として自ら引き継いだ。これまで売り上げを生産者に返し、収益が出れば、海の作業用の合羽ズボン、手袋、長靴を、漁協を通して贈ってきた。それを一歩進め、国の被災地支援のような「終わりが来る関係」でなく、「十三浜の人たちと、生業と食卓を未来まで支え合う」運動にしていくという。その方向が正しいと実感させたのが、新たな災害となった海の温暖化、そして今年1月1日に起きた能登半島地震だった。