ボート競技で摂食障害、ガールズケイリン転向後は“センスなし”自覚 縁が助けた30歳からの競輪人生/林真奈美インタビュー
不調に落車、スランプ中に入った朗報
2022年には優勝7回とキャリアハイの戦歴を残した。しかし2023年は後半から流れが悪くなり始めたと振り返る。 「感覚が悪くなる、セッティングが迷子になる、体調も崩す…。悪いことが重なりました。今年に入ってから予選敗退が2場所連続で続き、2月に入って最初に岐阜で落車。1回休んで仕切り直せと言われているような気がしました」 岐阜の落車は肩鎖靱帯の損傷。選手生活で落車は何回もあったが、それらとは違った感覚だったという。それでもネガティブにならず、焦らず治していくことを第一に考えていたところ、後輩から思わぬ一報を聞く。 「とにかく保存療法。負荷を掛けず何もしないことが一番の治療だった。そんな時期に後輩から『真奈美さん、久留米のオールガールズクラシック出られますよ』って言われて。出られると思っていなかったのでビックリでした。治療でお世話になっている方に相談をしたら、4月末なら間に合うかもと言われたんです。それなら久留米のオールガールズクラシックでの復帰を目標に頑張ろうと思った。同じ時期に優香も落車をして肩を痛めていたので、ふたりで『痛いね、しんどいね』と励まし合いながらトレーニングをやっていきました」
地元GIで復帰、存在感をアピール
復帰戦となった4月の久留米GI・オールガールズクラシック。地元バンクでの大舞台に、たくましくなった林の姿があった。 「3月の時点でまだ上半身はあまり使えないけど、下半身の練習はできていた。競輪選手としては細かった脚やお尻のトレーニングをしっかりやってボリュームが出た。持っていた服はパンパンになったけど、選手としてはうれしかったです」 3日間走り5、4、2着の結果で終わったが存在感は大いに発揮した。 「復帰1走目はレースができたことがうれしかった。ちぎれることなく集団でゴールできて、無事に走れた。最終日は自力を出すレースをしようと決めて臨んだ。落車をしてから計画的にやってきた練習の成果を体感できるチャンス、どう転んでも収穫があると気持ちを強く持ってレースに向かいました」 結果は石井寛子にまくられてしまったが、先行して2着。多くのガールズケイリンファンに復活を強くアピールした。 「落車して良かったとは思わないけど、落車して走れなかったことに意味を持たせることができたかな」