ボート競技で摂食障害、ガールズケイリン転向後は“センスなし”自覚 縁が助けた30歳からの競輪人生/林真奈美インタビュー
デビュー後すぐに結果を残す
30歳でデビューした林。初戦は2016年7月の松戸だった。予選2走を3着、2着で決勝に進み、尾崎睦との力勝負に打って出て惜しくも準優勝。デビュー2場所目の小倉初日には最終2角4番手からまくりを決めて初勝利。7月から12月までの12場所で全て決勝進出と好スタートを決めた。 2年目の2017年5月小倉では初優勝も達成。はたから見ると順風満帆な選手人生をスタートさせたように思えるが、本人の感覚は違ったそうだ。 「昔のことはあまり覚えていないんですよ。こうやって成績を言われて思い出すくらい。優勝は1年以内にはできないなと思っていたので、小倉で優勝できたことはうれしかったです」
安定した成績の裏で抱えていた悩み
その後も成績こそ安定はしているが、殻を破れないモヤモヤを抱えていた。そんなときにきっかけをくれたのは同期の存在だった。 「自転車に乗り始めたころから“乗れている感じ”がなかったんです。自分が自転車と繋がれていないと悩んで、中嶋里美に相談しました」 林はボート競技で、状況に応じたセッティングを自分で考えて恩師に提案する習慣があった。自転車もセッティングが重要なスポーツだが、周囲には師匠の出したセッティングで感覚をつかんで、結果を出す選手が多かった。 「久留米のガールズはみんなセンスがある。でも私は自分で考え体感して納得しないとダメなタイプ。自転車のセッティングも自分で考えたかったけど、どうすればいいか分からなかった。そんなことをさとちゃん(中嶋里美)に相談したら、広島の吉本哲郎さんを紹介してくれた。剣次さんに相談して、哲郎さんのところに練習に行かせてもらいました。そしたら『悩んで、模索することはいいことだよ』って肯定してくれたんです」 選手のレベルが高い久留米は良い練習環境だが、年齢を重ねてから転向した林にとっては考え方の違いに混乱してしまうことも多かった。師匠の理解を得て環境を変え、自分の気持ちを出せるようになった。 「広島で練習させてもらって、試行錯誤することは悪いことではないと思うことができて楽になったんです。そこから自転車に乗れている感じも出て、成績も良くなりました。哲郎さんとの出会いがなかったら、プレッシャーに押し潰されていたかもしれないですね」 吉本を頼った2019年春以降は感覚を掴み、メンタル面も安定。成績は右肩上がりになった。その後はコロナ禍で他県での練習がやりづらい状況になってしまったが、今度は久留米の仲間が林真奈美を支えてくれた。 「広島での練習ができなくなってしまい、一人で考えて練習することが続いていた自分に田中誠さんが声を掛けてくれたんです。バンクでバイクを使って引っ張ってくれたり、一人ではできない練習に混ぜてくれて。自分から誠さんたちの練習グループに正式に入りたいとお願いしました。ちょうど優香がナショナルチームを引退して戻ってくるタイミングも重なって、一緒に練習させてもらうようになりました」