「ハリルに戦力外通告された後、FC東京が」ルーズなブラジル人がJ通算99発の“神助っ人”になるまで「日本の教えに感謝…エンドウは天才だ」
日本人の心の温かさと繊細な気配りに感激したよ
――日本へ行ってみて、どうでしたか? 「ケリーとジャーンが言っていた通りだった。言葉、気候、習慣、メンタリティー、プレースタイルの違いはフランス以上に大きかったけれど、クラブ関係者が僕と妻を完璧にケアしてくれたから、比較的容易に適応できた。こういうケアは、欧州のクラブは絶対にやってくれない。日本人の心の温かさと繊細な気配りに感激したよ」 ――あなたは、日本語がかなり話せますね。 「フランスではブラジル人選手だけで固まり、その他の国籍の選手との間に壁を作ってしまった。その反省から、言葉を学び、日本人選手に自分から話しかけて、溶け込もうとした。クラブ関係者、家の近所の人々とも良い関係を築こうと努力した」 ――フランスでの失敗を教訓としたわけですね。当時のJリーグのレベルをどう思いましたか? 「技術的にはかなり高いレベルにあった。ただ、これはドゥンガやジーコも言っていたことだけど、当時の日本人選手には、いわゆる〈マリーシア〉が不足していた。頭を使って試合を自分のたちのペースに引き込み、確実に勝利を手にするのが下手だった」
“最初の半年間”は全くダメだったんだ
――シーズン当初は、なかなか結果が出なかった。 「フランスでの経験から、新しい国、新しいリーグではすぐに結果が出ないとわかっていた。我慢、我慢と自分に言い聞かせ、練習を積んで1日も早くチーム戦術に馴染むことを考えた。でも、最初の半年は全くダメだったな」 ――Jリーグ開幕後、あなたは先発フル出場を続けました。初ゴールが、4月の第5節セレッソ大阪戦。6月の第12節ガンバ大阪戦で先制されながら2得点をあげてチームに逆転勝利をもたらし、その1週間後の名古屋グランパス戦では2点のビハインドを背負いながら、あなたの2得点などで劇的な逆転勝ちを収めます。この6月の2試合で波に乗ったのでは? 「ああ、そうか。とすると、3カ月で軌道に乗ったんだな。でも、それが半年に感じたくらい、苦しんだ」
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