「ハリルに戦力外通告された後、FC東京が」ルーズなブラジル人がJ通算99発の“神助っ人”になるまで「日本の教えに感謝…エンドウは天才だ」
苦しめられた日本人DF、評価していたFWは
――ところが、その後、FC東京へ復帰します。そのいきさつは? 「引退から約1カ月後、FC東京の関係者から『J2で苦しんでいるので、J1復帰を助けてくれ』 という連絡を受けた。当初は『もう引退したんだ』 と言って断わったんだけど、どうしても諦めてくれない。結局、年末まで6カ月の契約ということで承諾した」 ――そして、チームのJ1昇格、さらには天皇杯優勝に貢献。2013年までプレーしました。 「毎日、練習して試合に出るうち、かつてのフットボールへの情熱が蘇ってきた。愛するクラブを助けることができ、サポーターに喜んでもらえて、選手冥利に尽きた」 ――日本で最も苦しめられたDFは? 「横浜F・マリノスの中澤佑二と浦和レッズ、名古屋グランパスにいた田中(マルクス闘莉王)だね。2人とも強靭な肉体の持ち主で、非常にハードにマークしてくる。あるとき、中澤が例によってハードな守備をしてくるのでポルトガル語で罵ったら、ポルトガル語で言い返してきたので驚いた(笑)。彼はブラジルへ留学したことがあって、ポルトガル語が分かるんだね。ジュビロ磐田の福西崇史も嫌だったな。あのハンサムが、涼しい顔で、えげつないプレーをするんだ(笑)。でも、2007年にFC東京でチームメイトになったらとても気の良い男で、すっかり仲良しになったけれどね」 ――高く評価した日本人CFは? 「横浜F・マリノス、サンフレッチェ広島の久保竜彦とセレッソ大阪、ヴィッセル神戸の大久保嘉人だね。久保はとてつもない身体能力を持つ野性的なストライカーだったし、大久保は小柄だけど闘志の塊で、技術もある日本のロマーリオだった」
フランスでどん底に落ちたが、日本で蘇った
――欧州で成功してセレソン(ブラジル代表)に選ばれ、W杯に出場して世界一になる、という夢を一度は捨てて25歳で日本へ渡り、結果として合計9年半もプレーした。日本へ行って良かったと思いますか? 「自分にとって最高の選択だった。僕はフランスでどん底に落ちたが、日本で蘇った。さらに、人間としても大きく成長した」 ――あなたは、とても誠実な人柄という評価を受けています。 「そう言ってくれる人が多いんだけど、日本に行くまではそうじゃなかった。時間にルーズだったり、約束を守らないことがあり、よく妻から注意されていた。でも、そういった人間として重要なことを、日本で日本人から教わった。そのことを、今でもとても感謝している」 ――息子さん2人も選手を目指しているそうですね。 「長男ペドロは19歳のアタッカーで、地元のボタフォゴのU-20所属。すでにトップチームの公式戦でもプレーしている。次男ジョアンは16歳で、やはりボタフォゴのU-17所属。彼はMFだ」 ――将来、もし2人が日本のクラブからオファーを受けたら、どうアドバイスしますか? 「日本は最高の場所だからぜひ行け、と言うよ。もしそれがFC東京かガンバ大阪なら、言うことなしだね」 ――日本代表についてもお話を聞かせてください。 「ああ、試合はいつもテレビで見ているよ。久保建英とも直接話をしたことがある」 ――そうなんですか? 〈つづく〉
(「熱狂とカオス!魅惑の南米直送便」沢田啓明 = 文)
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