「ルールを破ることは許せない」日本人が多いワケ…原因は“厳しい校則”への「過剰適応」?
「同じ=平等」の妄信
日本社会では、「全員が同じルールに従わないと不公平」という感覚が強いです。校則も同じ感覚に従って作られています。 しかし外国人や外国にルーツのある生徒も増えた今、髪の毛について「色は黒で直毛」をスタンダードにすることは平等でもなんでもありません。平等どころか黒人の血が入った生徒にも直毛にすることを求めたり、髪の色が明るい白人系の生徒に黒髪に染めさせたりすることは人種差別です。 多様なバックグラウンドの生徒が増えている今、「みんな同じにすれば平等だ」という発想は間違いです。 最近は世間でも、「同じにすることがすなわち平等とは限らない」という声が聞かれるようになりました。図「平等と正義」のような絵がウェブ上では多く見られ、盛んに議論されています。全員に同じものを与えるのではなく、全員が同様に幸せになれるように工夫して、それぞれに合わせたものを与えることが真の平等です。 今の日本の現状は図の左側です。「人間はそれぞれ違う」ということが無視され、とにかくみんなに同じものを与えておけばいいという状況です。 でも学校で長年、「個」としての自分を抑えつけたまま社会に出ると、不自由な大人になってしまいます。欧米人と比べると日本人は自尊心が低いと言われていますが、学校がその一因でしょう。 自尊心をやられて一種の「学校後遺症」になってしまう大人もいる一方で、厳しい校則を疑うことなく「過剰適応」してしまった結果、理不尽なルールであっても「誰であれそのルールを破ることは許せない」人が日本には多くいます。 日本の電車で「携帯で話していたから殴った」というような事件がたびたび起きているのはそのせいです。そこには「ルールを守らない人には何をしてもいい」という思考が垣間見えます。 日本の学校の校則は生徒が一方的に守るべきもので、生徒自身の発言権が重んじられていないことがそもそも問題です。 「国連子どもの権利委員会」は、1998年6月以降、日本政府に対し数回にわたって、「日本の学校制度では子どもが参加する権利(条約12条)が制限されている。子どもの意見の尊重が十分でない」と警告しています。
サンドラ・ヘフェリン