子育てを母親だけに背負わせ「出産前の妻」を求める夫と離婚を決意。ぶつけた本音「〈いるのに何もしない人間〉はいらない」
◆育児の大変さを元夫と共有したかった “「これでも頑張ってきたんだよ。けど、どうしても疲れるし、やる気も出なくなるし、わけもわからず悲しくなるし、不安になるし……でも我慢して、頑張ってきたんだよ」” 夫に切々と訴える莎織の言葉が、自分の内面とリンクした。がんばってもがんばっても楽にならない。押し寄せる不安と疲労。その最中にも泣き喚く赤ん坊。そういう日々を「幸せだ」と笑って過ごせない人間は「母親失格」だと言われる風潮が、何よりも辛かった。 元夫が求める「出産前の」私は、ひどく身軽だった。一瞬でも目を離すと死んでしまう生き物が、四六時中隣にいる。息子の命が、常に自分の肩にかかっている。その重圧は想像以上に凄まじいもので、身軽だった頃の私に戻るのは不可能だった。 前々回のエッセイでも綴ったが、子育ての苦労の感じ方には個人差がある。育てにくい子と育てやすい子の相違、頼れる実家の有無などにより、母親にかかる負担は大きく異なる。もちろん、子育てを担っているのが母親だけとは限らない。父親にしろ、祖父母にしろ、主体的に育児をする人の環境や子の特性により、状況は千差万別である。 育児経験者が殊更に「大変さ」を強調することは、これから育児をはじめる人にとって呪いとなるケースもあろう。ただ、「大変だった」と感じる人が、その気持ちを個人的に吐露することくらいは許されてほしい。大変だった記憶を「大したことじゃなかった」と変換して話すのは、私の中では違和感がある。 長男の育児は、私にとって大変だった。私はそれを、誰よりも元夫にわかってほしかった。
◆ようやく伝えられた本音 私に「離婚しよう」と言われた元夫は、はじめのうちは飄々としていた。専業主婦の私がおいそれと離婚なんてできるわけがないと、たかを括っていたのだろう。だが、介護の資格を持っていること、保育室完備の介護職の求人があることを説明すると、態度が一変した。 「結婚して子どもまで産まれたら、そっちの性格を考えたら離婚を切り出せるわけがないと思っていた。どんなことをしても、何を言っても、最終的には許してもらえると思った」 元夫は涙ながらに謝罪して、自分の非を認めた。自分がずっと見下されていたことを改めて自覚するのは、なかなかに辛いものがあった。 「私はロボットじゃないから、何をされても何を言われても許せるわけじゃない」 当たり前のことを言っている、と思った。でも、こんな当たり前のことさえわからない人が世の中にはたくさんいる。もしも私が子どもを産まずに、彼の身の回りの世話をそつなくこなしていたなら、私たちは仲良し夫婦のままでいられたのだろうか。一瞬そう思ったが、それは違うと思い直した。彼のほうが強く子どもを望んだのだ。私が産まない選択をすることを、彼はきっと許さなかっただろう。 息子の夜泣きを私任せにしていた理由として、元夫は「泣き声が聞こえなかった」と弁明した。当時は信じられなかったが、子の泣き声に気づかない父親は案外多いという。しかし、それはやはり意識の問題からくるところが大きいのだろう。生物学的な要因であるのなら、シングルファザーは子育てを担えない、ということになる。 2人の子どもなのに他人事のようにされたくなかった。息子が笑っている時以上に、泣いている時に気にかけてほしかった。「泣いてるよ」と私に言うのではなく、自分の手で泣きやませる努力をしてほしかった。離婚を決意してはじめて、私は元夫に本音を伝えられた。