謎に包まれた生涯を送った清少納言
5月26日(日)放送の『光る君へ』第21回「旅立ち」では、まひろ(のちの紫式部/むらさきしきぶ/吉高由里子)が父・藤原為時(ふじわらのためとき/岸谷五朗)とともに赴任先の越前に旅立つ様子が描かれた。 ■まひろが父に従い越前に旅立つ 中宮・藤原定子(ていし/さだこ/高畑充希)の突然の出家は、一条天皇(塩野瑛久)に大きな衝撃を与えた。逃亡を続ける定子の兄・藤原伊周(三浦翔平)は捕縛され、配流先の大宰府へ流されるなど、藤原道隆の一族は内裏から一掃された。 生きる気力を無くし、ふさぎこむ定子を心配した清少納言(せいしょうなごん/ファーストサマーウイカ)は、まひろに相談する。まひろの提案に着想を得た清少納言は、四季について記した書き物を定子に献上する。清少納言の執筆する『枕草子』は、徐々に定子に元気を取り戻させていくのだった。 一方、父・藤原為時の越前赴任を翌日に控えたまひろは、出立の前に藤原道長(みちなが/柄本佑)と密会を果たす。道長に対する気持ちを素直に吐露したまひろは、越前の地で生まれ変わることを、愛する人の前で誓ったのだった。 ■会ったこともない紫式部に酷評された清少納言 清少納言は、歌人である清原元輔(きよはらのもとすけ)の娘として生まれた。生年は966(康保3)年頃といわれている。母は分かっていない。父も、祖父(あるいは曽祖父)も三十六歌仙に選ばれるほど、歌の名手の家系だった。このためか、幼い頃から文化に精通した、利発で聡明な少女に育ったという。 なお、実名についても不詳。清少納言の「清」は、清原から取られたもので、「少納言」の由来は中宮に仕える女房としての官職名とされるが、正確なことは分かっていない。 974(天延2)年に父の元輔が周防守に任じられると、これに随行し、現在の山口県防府市で暮らした。この頃に京への思いが募り、宮中の暮らしに憧れを抱き始めたという。 981(天元4)年頃、橘則光(たちばなののりみつ)と結婚。翌年に嫡男・則長(のりなが)を出産するなど、当初は順調な結婚生活を送っていたようだが、まもなく離婚した。991(正暦2)年に、かなりの年上となる藤原棟世(むねよ)と再婚。小馬命婦(こまのみょうぶ)を生んでいる。その後、993(正暦4)年冬頃に、中宮・藤原定子に仕えるようになった。