子育てを母親だけに背負わせ「出産前の妻」を求める夫と離婚を決意。ぶつけた本音「〈いるのに何もしない人間〉はいらない」
◆「いるのに何もしない」なら要らない 結婚後からはじまった元夫のDVと、はじめての育児による過労。当初は「これくらいで」と思っていたストレスが、積み重なるうちにあふれた。長男は、眠らない子どもだった。昼も夜も1時間ごとに泣いて起きる彼の育児を一人きりで担うのは、体力的にも精神的にも限界だった。その大変さを理解しようともせず、投げやりで無神経な言葉をぶつけてくる元夫に耐えきれず、家を飛び出した。 一晩だけ車の中で眠り、翌朝帰宅した私に彼は「母親失格だ」と言った。この人は父親で、息子の親なのに、子育ての大変な部分はすべて母親が背負って然るべきだと思っている。それに気づいた時、心底「要らない」と思った。目の前にいるからあてにしたくなるのであって、いなければ1人だと腹を括れる。「いるのに何もしない」人間が、子育て期においてもっとも腹立たしい存在で、だったらはじめからいないほうがいい。 「離婚しよう」 “家族って何だろう。夫婦って、何なのかしら。わたしが一番頼りにしたいときに、一番ひどい人だったあなたは、わたしの何だったの” 元夫にはじめて離婚を願い出た時、家出中に思い出した物語の一節が脳裏をよぎった。天童荒太氏による『あふれた愛』収録作品「とりあえず、愛」。子育ての悩みや日々のストレスが原因でうつ病を患った妻と、妻の苦悩を顧みず責め続ける夫の物語。忘れていた結末を辿るべく帰宅後に読み返した物語は、自分と重なる要素が多すぎて少し苦しかった。それでも、読み進めた。この夫婦の結末がどんなものか、それを知りたかった。
◆「出産前と同じ」妻を求める夫 “「わたし、なつみを殺してしまう。殺しそうになったの。お風呂に入れてて……このまま、この子の顔を、お湯につけたままにしたら、どうなるかしらって考えて……」” 物語は、妻である莎織の独白からはじまる。莎織は献身的な妻であり母親で、娘にも惜しみない愛情を注いでいた。だが、大きな愛情は時に大きな不安を生む。大切な存在ができると、その存在を失ったらどうしようと不安に苛まれる人は少なくない。なつみがかかった病院の医師は、それを「自然なこと」と説いた。 “愛情が強いほど、失うことの恐れも大きくなるの。もしも愛する我が子を失ったらどうしようと考えて、不安になる。その不安を内側にため込むうちに、知らぬ間にふくれ上がって、負の幻想に呑まれてしまうの。” その後、医師は「支える側が寛容な態度で相手の不安を受けとめることが大切だ」と語る。その言葉を聞いて、夫の武史は自分が責められたように感じ、尚いっそう頑なになった。専門家が述べる対処法が自分の選んできた行動と真逆だった場合、劣等感を抱く患者家族は多い。だが、その鬱憤を患者本人にぶつければ、寛解への道は遠のく。 “「まるきり、おれのほうが悪かったみたいじゃないか」” 医師の言葉に安堵した患者を責め立て、新たな不安を植え付ける家族。この構図は、さして珍しいものではない。患者家族の日常もまた大変なことは、重々承知している。だが、武史の場合は、ただ逃げていただけだ。家族の問題から、妻が抱える苦悩から、自分だけ見ないふりをして「これまで通りの日常」を求めていただけだ。 元夫は武史と同じで、「出産前と同じ」生活、「出産前と同じ」妻を求めていたのだと気づいた。