「反対するものは、叩き斬る」…「特攻を続ける」ことを決めた大西瀧治郎中将が放った「強烈なことば」
なんとかフィリピンを最後の戦場に
いずれにしても、大西はこの日の敷島隊以下の戦果に自信をふかめ、 「栗田艦隊の突入を掩護するため、敵空母の飛行甲板を一週間程度使用不能にする」 という表向きの理由をかなぐり捨てた。特攻の目的が、この日1日で変容したとみていい。門司副官も、 「戦闘機に爆弾を積んで体当り、という戦法自体がそれまで例のないもので、大西中将自身、その効果には半信半疑だったと思います。若い部下を死なせるのに、戦果が上がらなければ申し訳ない。ところが、この日、報告された戦果は、特攻が、通常攻撃よりも効果的に敵を殺傷し得ることをいわば証明するものだった。そこで、長官は、大きな一歩を踏み出す賭けに出たのだと思います」 と証言する。ここで敵に少しでも大きな打撃を与え、なんとかフィリピンを最後の戦場にしたいという、大西中将の意思の表れでもある。だが、訓示を聞く指揮官たちの様子は、二〇一空で特攻を命じたときの純一な感じとはちがい、体当り攻撃をかけざるを得ない悲壮さよりもむしろ、戸惑いや反発を表に出す者が目についた。 なかでも、零戦隊の二〇三空戦闘三〇三飛行隊長・岡嶋清熊少佐の、食ってかからんばかりの表情が門司の心に刺さった。岡嶋は、門司が空母「瑞鶴」に乗ってインド洋作戦に参加したときの戦闘機分隊長である。岡嶋は大西の言葉を「銃殺する」と聞き、のちに、 「いやしくも、海軍士官に対して、なんたる無礼な言い草かと腹が立った」 と、のちに述懐している。岡嶋は特攻作戦そのものに反対だったのだ。 彗星艦爆を率いる大淵大尉も、 「特攻というのは、要するに距離ゼロの急降下爆撃ですから、爆弾を確実に敵艦の上にポンと落とせる技倆の搭乗員を養成すればいいことだと思い、効果の面で批判的に見ていました」 と言っている。また二五二空飛行長・新郷英城少佐は、戦後、門司に、 「長官の言葉に抵抗を感じたが、ではほかにどんな術があるのか、と言われればかわるべきものは見当たらず、黙っているより仕方なかった」 と語ったという。 「大西長官は、そんな指揮官たちとの気持ちの落差を一気に埋めようと強い言葉を選んだのだと思いますが、私はこの不協和の感じに、なにか心が痛む思いがしました」 とは、門司の回想である。