【京アニ事件死刑判決】精神医学と司法の“溝”、遺族も社会も納得するためには
鑑定人は第一人者だった
公判鑑定を行ったのは、岡田幸之東京医科歯科大学教授である。吉益脩夫、中田修、小田晋と連なる本邦司法精神医学の保守本流。司法精神医学会、犯罪学会等で重責を担い、法曹の信頼も厚い。 裁判所や検察庁が精神医学についての勉強会を開くとき、講師として第一に指名されるのが岡田教授である。責任能力判断に関わる裁判官、検察官のなかで、岡田教授の講演を聴いたことも、論文を読んだこともない人は、いない。いわば、法曹にとっての精神医学の教師ともいうべき人物である。この岡田教授の鑑定でも裁判所との〝溝〟は埋められなかった。 今年の5月に日本司法精神医学会が開かれた。フロアの雑談では、京アニ事件の判決が話題になった。学会員たちは、無力感でうちひしがれていたのが印象的であった。 岡田教授は、精神鑑定を誰よりも明晰に語る、まさに第一人者である。それでも見解は認められなかった。いったい、誰がどういう鑑定をすれば、裁判所に採用されるのか。
この学会では、岡田幸之、村松太郎、古茶大樹といったスター学者たちが、まことに精緻な責任能力論を高唱した。裁判所の論理に対抗すべく、精神医学の英知を結集し、洗練を極めた考察であった。 しかし、なかには専門家の私にすら難解と思える話も多かった。いわば「細かすぎて伝わらないカンテイ」状態であり、裁判員に理解させるのは困難であろう。
心神喪失に伴う法の〝抜け穴〟
裁判所によるこのような判決には、法制度上の事情もある。 ドイツ刑法ならば、刑罰の代わりに「強制入院」を命ずることができる。だから、ワグナーの場合、死刑を回避することができた。法制度が整備されていたから、裁判所はあえて死刑を選択させずに済んだのである。 日本の場合、そうではない。裁判所は心神喪失者に対して「強制入院」を命ずることができない。刑罰を与えることもできない。したがって、「心神喪失」との判断は、直ちに治安への脅威となる。このリスクを避けるために、裁判所として判断を下す側面もあるだろう。 日本の刑事司法制度で、刑法39条を適用すれば、国民は恐怖のどん底に突き落とされる。「心神喪失」とされれば無罪となり、釈放である。 もちろん、その後、一部のケースは、医療観察法ないし精神保健福祉法措置入院で強制入院になる。しかし、それらはあくまでも治療を目的としている。治安を目的としていない。 入院は早晩終了する。その後、地域社会に復帰する。再度、事件が起きる危険性をはらんでいる。そのとき、誰も治安に責任をとらない。