「母になって後悔してる」を考える。「母性神話」に押し込められた女性たちの叫び
自分が透明になっていく
柏木: 番組の制作後も1年以上取材を重ね、今回の書籍にまとめられたと伺いました。本を読んで最初に思ったのは、女性たちが母親としての責任を非常に強く感じており、常に頑張っている、もっと言えば頑張り過ぎているのでは、ということでした。「女性は子どもを産んで一人前」、「母は愛情深く模範的でなければならない」などといったプレッシャーを感じているようでもありました。 依田: インタビューした女性の中には、子どもが生まれたことで命への非常に大きな責任を自分一人背負ったと感じ、「出産した瞬間、母になった後悔を感じた」と打ち明けた方がいました。彼女はその後もワンオペ育児に悩み、「私が私である部分が消えてしまい、自分が透明になっていくような感覚がする」と語っていました。その言葉はとても印象的でした。 彼女は、結婚を機に仕事を辞めて、生活が子ども中心になり、自分の人生を生きられなくなったと感じたことで、自分が何者であるかが分からなくなったのだといいます。それは、子どもを産んだ女性が、「母親」という役割に押し込められるからではないかと思います。 出産後、これまで自分が頑張ってきたことが、すべて無にされてしまうような経験をした人は、少なからずいるのではないでしょうか。しかも、周りからは「良い母親」になることを求め続けられ、一旦その枠から外れようものなら、非難の目を向けられてしまう。そのつらさはとても大きなものだと実感しました。 柏木: 「子どもの母親」ではあるけれど、自分自身を見てはもらえない……。それはまさに、女性たちにとってアイデンティティの危機であり、自己の喪失でもあります。 依田: 例えば、いろいろな場面で「~ちゃんママ」と呼ばれることで、自分の名前が奪われ、存在する意義が失われていくように感じるのも、母親にとっては、大きな苦しみのひとつかもしれません。
「理想のお母さん像」への違和感
髙橋: 「理想のお母さん像」を周りからあてはめられ、母親自身もその理想像の枠に捕らわれて悩んでいますよね。取材した女性たちの中には、「理想通りの母になる必要はない」と頭では分かっていても、その一方で、どこかで他の母親と自分を比べて、小さなコンプレックスを積み重ねる部分もあると話していました。例えば、SNSの投稿に影響を受けたり、街ですれ違う母親を見て、「自分より子どもに優しく話しかけている」と思ったり……。 柏木: 母親は優しさに満ちあふれた存在だという「母性神話」のようなものがまだ一部にはあり、それらに捕らわれて女性が自らを追い込んでしまうこともありますよね。telling,でも、「“私の40歳”を探して 母親は“聖母”なんかじゃない」などの記事で、母親たちのリアルな声として、すべての女性に「母性」が備わっていると捉えられることへの悩みについて考えたこともあります。 髙橋: 取材では「母親になった途端、自分の見る世界がこれまでとガラッと変わった」「子どもにとって安心できる存在にならなければと思うのに、実際できたという自信がない」といった声も聞きました。それらは、自らの思い込みだけでなく、彼女たちの家庭や職場が持つ価値観によっても影響されるように感じました。