西暦1966年は悪魔元年だった...サミー・デイヴィス・Jrが信仰した「悪魔教」の実態 米
「俺は悪魔教信者になった」という箇所はデイヴィスの回顧録から削除された。「悪魔教の理念に魅了された」
「俺は悪魔教信者になった」という箇所はデイヴィスの回顧録から削除された。「悪魔教の理念に魅了された」 薬物依存の影響は、次第に公の場にも現れるようになった。デイヴィスは2~3曲歌った後、コンサートが終わったと思い込んでステージを降りることもしょっちゅうだった。意識がはっきりしている時には、「やあみんな、ヤってるときもあるし、ヤってない時もあるが、今夜はヤッてない」と公言したこともあった。最後までステージをやりとげても、トリを飾るのは誇り高く反旗を翻す「I Gotta Be Me」ではなく、哀愁漂う「ミスター・ボージャングルス」だった――放蕩生活を送る大道芸人が、踊りで晩年に飲み代とチップを稼ぐ。タップダンスが履ければの話だが……。 1970年代も後半に入ると、デイヴィスの社交生活は次第に酒とクスリ中心になっていた。シナトラは旧友の落ちぶれ具合を見るに耐えかね、連絡を断った。オールド・ブルー・アイズことシナトラは、最初は仲介者を通じて、その後は面と向かって、しっかりしろとデイヴィスにげきを飛ばした。彼がとくに恐れていたのは、親友が悪魔教信者と親しくしていたことだった。 シナトラのような親代わりの人間から拒絶されたことで、デイヴィスがラヴェイとの交流をどこまで考え直したかは何とも言えない。デイヴィスの薬物依存がここまでひどいことをラヴェイは知っていたのか、もし知っていたら手を差し伸べようとしたのかも分からない。 分かっているのは、デイヴィスとラヴェイの絆は70年代後半には徐々に薄れていったということだ。少なくともしばらくの間は電話でやりとりをしていた。だがMr.ショウビズと暗黒教皇が顔を合わせる頻度は少なくなり、最終的には途絶えた。先割れひづめの悪魔を通じて結ばれた友情が真っ二つに引き裂かれたわけではない。ただ、それぞれ元のさやに収まっただけだ。 「俺は悪魔教徒になった。とても興味をそそられる連中に紹介され、その中に全米サタン教会のトップもいた。俺は彼らの理念に魅了された。実際教会の一員になって、悪魔教の信念に自分がどう貢献できるか模索した……今もサタン教会には大勢の友人がいる……面白い話を持ち掛けてくれれば、俺が喜んで改宗する人間だってことは分かるだろう」。 1980年に出版されたデイヴィスの回顧録『Hollywood in a Suitcase』からの抜粋が、ニューヨークデイリーニュース紙に掲載された。サブタイトルは「悪魔教の経験と、愛から得た教訓」だった。ところがいざ出版されると抜粋箇所は完全に削除され、どこにも見当たらなかった。誰かが、おそらくデイヴィスも含む全員が、直前になって二の足を踏んだのだろう。 もはや70年代は過ぎ去っていた。 1980年代も終わりに差しかかると、悪魔教をめぐる集団パニックが起きた。デマであることは証明されたものの、生贄の儀式や赤ん坊殺し、性的虐待などの容疑で全米が混乱に陥った。 1988年、NBCで放映されたジェラルド・リヴェラの特別報道番組『Devil Worship: Exposing Satan’s Underground』は、『Poor Devil』が成し遂げられなかった高視聴率をはじき出した。かつてセンセーショナルな報道で脚光を浴びたラヴェイは、いまやお尋ね者扱いだった。脅迫状を突きつけられ、最高司祭はブラックハウスの中に引きこもった。屋敷はしばしば銃撃に遭った。 1990年2月上旬、いつものようにサタン教会本部にTVガイド誌が届いた。だが、面白い番組はないかとページをめくって『Poor Devil』を見つけたダイアン・ハガーティはもういない。ハガーティとラヴェイは1984年に別れていた。ラヴェイが怒りっぽく暴力的になったのが原因だとハガーティは主張(ラヴェイは否定)している。代わりにラヴェイの最後のパートナー、ブランシュ・バートンが暗黒教皇とブラックハウスで暮らしていた。バートンはデイヴィスに会ったことはなかったが、サタン教会でもっとも有名な魔術師がTVガイド誌の表紙を飾っているのを見逃さなかった。 1989年上旬、デイヴィスは喉頭がんと診断され、公演はすべて中止された。死が近づいていることを感じたデイヴィスのマネージメントは追悼イベントの準備を始めた。65歳の誕生日までもつかどうか危ぶまれたため、芸歴60周年記念という形になった。 ハリウッド最大のスター、エディ・マーフィは二つ返事でイベントの司会を引き受けた。彼はデイヴィスを尊敬しており、デイヴィスはちやほやされるのが大好きだった。ある晩ハリウッドにあるレストラン経営者のダン・タナ邸で、シャンティのボトルで作ったシャンデリアの下、デイヴィスは若きコメディアンに打ち明けた。「いいか、悪魔は神と同じぐらい強大なんだぞ……」。 「一体全体なんの話です?」というマーフィの反応と眉をひそめた沈黙に直面したデイヴィスは、話を逸らして場を和ませ、自分が今でも空気が読める人間だと証明した。だが決して悪魔教を見限ったわけではなかった。友人らの話によると、デイヴィスは晩年まで悪魔教の儀式を続けていたという。愛人のキャシー・マッキーはそれが理由で別れた。「愛の行為も」と彼女は記している。「どういうわけか、オカルト信仰にひもづいた儀式だったの。私には理解する気はなかったけど」。 どうやらデイヴィスは1980年代にそういう連中と出会い、セックスパートナーと悪魔教の儀式に参加していたようだ。側近の1人はアルトヴィスに宛てた手紙の中で、デイヴィスがそうした乱交の最中に割れたボトルのような鋭利なもので血を流したと書いている。時には性器から血を流したこともあったそうだ。 具体的にいつごろデイヴィスの悪魔教の儀式が怪しい方向に進んだのか、またその理由については分からない。おそらく年齢やキャリアの衰退、破産の恐れなどに対する反動だったのではないか。あるいは胸の奥底に眠る怒りをぶちまけていたのか。あるいは、単なるSM嗜好だったのか。 TVで『Sammy Davis Jr. 60th Anniversary Celebration』を見ていたラヴェイは、デイヴィスが悪魔教にこれほど長くのめり込んでいたことを知らなかった。スター勢ぞろいのイベントは、あらゆる意味で生前葬だった。友人らが列をなしてデイヴィスを称え(シナトラ)、茶化した(マーティン)。ジョージ・W・Hブッシュ大統領もホワイトハウスから祝福のビデオメッセージを贈った。ジェシ・ジャクソン尊師はデイヴィスが次世代に扉を開いたと称賛した。キング・オブ・ポップことマイケル・ジャクソンは書下ろしのトリビュートソングを披露した。 ラヴェイは奇妙なオカルトのオブジェや思い出の品々に囲まれながら、かつての友人、かつての信者が番組終盤でステージに上がり、集まった豪華スターの面々に(最後の)挨拶として謝辞を述べる様子を見ていた。デイヴィスからラヴェイには何の一言もなかった。ラヴェイは1997年に息を引き取るまで、そのことを根に持っていた。現存するもっとも偉大なパフォーマーにしてもっとも有名な悪魔教信者は、ラヴェルが見つめるTV画面に向かって投げキッスした。スクリーンがフェイドアウトする。この番組がエミー賞で最優秀バラエティ音楽コメディ特番賞を受賞したころ、デイヴィスはフォレスト・ローン墓地で眠っていた。墓碑には意味深な銘文が刻まれている。「エンターテイナー。彼はとことんやりつくした」。
Alex Bhattacharji