西暦1966年は悪魔元年だった...サミー・デイヴィス・Jrが信仰した「悪魔教」の実態 米
「アントンはショウマンだった。彼にとって悪魔教はショウビジネスだった」
「アントンはショウマンだった。彼にとって悪魔教はショウビジネスだった」ケネス・アンガー ラヴェイは悪魔教を9つの主張――戒律ではない(悪魔は言動について指図したりしない)――に落とし込んだ。第一に、「悪魔が象徴するのは禁欲ではなく、道楽だ!」。これと対を成していたのが、相互不干渉に基づく完全なる寛容だ――快楽、野心、復讐、どんな衝撃であれ、解放せよ。 この点こそ――快楽はもちろん、究極の寛容が――デイヴィスをラヴェイやサタン教会に向かわせた主な要因だったのは間違いない。受容と承認を切望する人間には、火を見るように明らかだった。民主党からは軽蔑され、袖にされた。共和党からは都合のいいように扱われた。黒人活動家からは野次を飛ばされ、邪見にされた。そこへ現れたのが悪魔教だった――まったく批判することなく、彼を聖なる場所へ迎え入れてくれたのだ。 デイヴィスをサタン教会に迎える日取りを決めるにあたり、ラヴェイは少し縁起を担いだ。ベイエリアでのデイヴィスのコンサート日程が、1973年4月13日とかぶっていたのだ。そこでラヴェイは13日の金曜日に、アキノと前妻の娘カーラをサークル・スター劇場へ向かわせた。その名の通り、回転する円形ステージで有名な劇場だ。デイヴィスが魔術師の任命式にその場所を指定したのは、なんとも象徴的だった。「アントンと私はこのアイデアが気に入っていました」とハガーティは回想する。「円と星――五芒星――はバフォメットの秘印の一部ですから」。 目立ちたがり屋だったにもかかわらず、最高司祭は冷静に見せたいという計算から、あえて一歩引くことにした。「押しが弱いほうが、我々に対するデイヴィスさんの評価も良くなるだろう」とアキノに手紙で書いている。 すぐにラヴェイの側近も気づいたが、デイヴィスはすでにサタン教会に好意的で、2人は温かく迎えられた。 和やかな雰囲気の中、デイヴィスは任命状を受け取り、頭を垂れてメダルを授かった。近くでみると、メダルにはバフォメットの秘印が刻まれていた。 3700人の観客が見守る中、デイヴィスは新たに手にした首飾りをつけてステージに上がった。 そしてバフォメットの秘印を首から下げたまま、新たに任命されたサタン教会の2級魔術師サミー・デイヴィス・Jrは、代表作でステージを締めくくった。ラヴェイの悪魔教の信条にも通じる心の叫びだ。 「俺が正しかろうと、間違っていようと この世界に居場所があろうと、なかろうと 俺は俺、自分らしくいるだけだ……」 車がビバリーヒルズのサミット・ドライヴ1151番地の前に停まると、中からラヴェイとハガーティが現れた。2人は私有地の生垣の隙間から目を凝らし、彫像をいただいた噴水やデイヴィス邸のファサードを飾るアーチ状のバルコニーを覗いた。ラヴェイとハガーティは決して門に近寄らず、ましてやくぐることもなかった。サークル・スター劇場での任命式からわずか数週間、突然の訪問は警備員の目に留まった。かの有名な新任魔術師にどうしても会いたかったが、ストーカーと思われるのではの懸念から、ラヴェイは引き返してデイヴィスにうやうやしい手紙を書いた。 次回サンフランシスコ近辺にいらっしゃいましたら、旧サタン教会本部の封印を解いて(文字通り、野次馬から守らなければならないのです)いわゆる館内見学をしていただくことも可能です。妻も私もLA生活が長いので、サミット・ドライヴの辺りもよく存じ上げております。実をいうとつい先日、ご存じかもしれませんが、現在売りに出されている旧バリモア邸の内見をしてまいりました。帰りがけに貴邸の近くを通りかかり、親切な若い見張り番に来訪を告げようかとも思いましたが、礼儀を重んじ、退出いたしました。ぜひ一度ご一緒させていただければ光栄です。貴方の生活様式が誰よりも悪魔的であることは存じ上げております……。 貴方の今後のご健勝を、地獄の底からお祈り申し上げております! 手紙を書いた真の意図が招待だったなら、成功だった。わずか数カ月後の1973年8月、デイヴィス自らドアを開け、旧知の友のように2人を迎えた。「やあダイアン! アントン!」と言った後、奥に向かって「さあ、アルトヴィス」と呼びかけた。 ラヴェイもハガーティも有名人のデイヴィスは知っていたが、彼の妻と会うのはこれが初めてだった。アルトヴィスは瞳の大きな美女で、夫よりも頭1つ分ほど背が高かった。バックダンサーをしていた時にデイヴィスと知り合い、死が2人を分かちつまで添い遂げ、死んだ後も夫を影で支えた(アルトヴィスはデイヴィスの隣に、墓碑もなく埋葬された)。この時も、夫が仕切るのをアルトヴィスは気にしていないようだった。 デイヴィスは夜を盛り上げるために、他にも魅力的な若い女性を2人呼んでいた。「サミーは好奇心旺盛でした」とハガーティは後にこう語っている。「彼は何にでもチャレンジしました」。セックス、薬物、悪魔教――これらがデイヴィスの渇望を満たした。「彼は教会が性の自由を支持していたのを感じ、そこに興味を抱いたのです」。だが乱交は悪魔教の教えではなかった。「我々は乱交のような活動とは一切無縁でした」。この点はラヴェイの最大の矛盾のひとつだが、彼は他人の欲望を解放することに献身しながらも、自らの欲望は厳しく節制していた。 悪魔教で出会った最初のファミリーと過ごす夜は、デイヴィスにしては珍しく大人しかった。彼は何十年もバーボンのコーラ割りを愛飲していたが、この日はバーカウンターの奥からウィスキーを、バーの上にあった銀のボウルからコカインを取り出して、チャンポンした。ラヴェイは麻薬常用者に対して何の偏見もなかったが――偏見は敵だ――社会の抑圧から自己を解放するには理性を明晰に保つことが最善だと考えていた。