馬場咲希、執念の「8メートル」 涙の米ツアー出場権獲得
19歳の馬場咲希にとって、これからの長いゴルフ人生の中でも忘れられないパットになるだろう。12月10日。米女子ツアーの来季出場権を懸けた最終予選会で、前日順延となった最終第5ラウンドの最終18番(パー4)。通過ラインまで1打足りずに迎えたこのホール、第2打をグリーンに乗せたが、ピンまで8メートルもある。「バーディーが必要ということは分かっていた」。スライスラインを転がっていくボールを「入れ、入れ」と祈るような面持ちで見詰める。思いを乗せたかのようにカップに吸い込まれると、あふれ出る涙が止まらなくなった。(時事通信ニューヨーク総局 岡田弘太郎、時事通信社 小松泰樹) 【写真】米女子ゴルフ最終予選会の最終ラウンド、18番でバーディーを決めた後に涙ぐむ馬場咲希 ◆「ずっと泣いていた」 米アラバマ州モービルのマグノリアグローブGC。この日はバーディーを奪った後にボギーをたたくなど一進一退だった。プレーの合間には、何度か落胆したようにひざを折り、今にも泣きだしそうな表情に。長丁場の90ホール目まで粘り続けた末に、重圧から解き放たれ、安堵(あんど)感が込み上げた。同時に感極まり、スコアを提出する間も涙がほおを伝わった。 そこでは報道陣に応対せず、いったんホテルに。最終組が競技を終えた頃、戻ってきて取材に応じた。その間、ざっと2時間ほどか。ホテルでも「ずっと泣いていた」と言う。執念のパットがカップに消えた瞬間、「やっと終わったんだって…」。追い詰められた状況での劇的なバーディー。これを決めて通算6アンダーとし、通過ギリギリの24位タイに食い込んだ。 ◆底力を培った「武者修行」 入れるしかなかったとはいえ、究極の場面で8メートルものパットをねじ込むのは至難の業だし、奇跡にも近い。胸を締め付けられるような修羅場を乗り越えられたのは、プロ1年目の「武者修行」で培った底力なのだろう。今回の90ホールだけでなく、米下部のエプソン・ツアーをほぼ単身で戦い抜いたシーンがコマ送りのように脳裏に浮かび、感慨の涙がとめどなく流れたのではないか。 馬場は2022年の夏、全米女子アマチュア選手権で日本勢37年ぶりの優勝。以来、ホープとして注目され続けた。かねて「子どもの頃から米国での活躍を夢見ていた」と言明。高校3年生だった1年前の23年は最終選考会を通過できなかった。日本の最終プロテストに合格していたが、米ツアー最終選考会の日程が日本のクオリファイング・トーナメント(翌年のツアー前半戦の出場優先順位を争う)と重なったため、主戦場の選択肢は日米の下部ツアーとなり、米国のそれを選んだ。「エプソン・ツアーから経験を積んで、強いゴルファーになりたい」。そう誓った。 ◆下部ツアーでは切符逃す エプソン・ツアーは3月上旬から10月上旬まで。年間のポイントランキングで10位以内に入れば翌年の米ツアー出場権を獲得し、24年から新たに11~15位までも別のカテゴリーで資格を得られることになった。馬場は最終的にランク18位。ツアー切符には手が届かなかった。 18試合に出て16試合で予選を通過し、2位を最高にトップ10が5度。惜しかったのは最終戦の「エプソンツアー選手権」だ。首位と1打差の2位で最終ラウンドを迎えたが、伸ばし切れずに8位にとどまった。とはいえ、競技環境が一変した米国1年目としては健闘したと言えそうだ。 ◆心身共にたくましく 10月8日に帰国。その週に日本ツアーの富士通レディース(千葉・東急セブンハンドレッドC)に出場した。これが日本での「プロデビュー」となり、開幕前日にはプロアマ戦にも出た。馬場の言葉からは、心身共にたくましくなった印象が随所で感じられた。 「(エプソン・ツアーでは)試合中に1人で考えないといけないことが多かった。自分の課題とかも。精神的にも大変だった。最終戦で優勝争いできたところでは、持ち味を出せたのかなと思う」 「体力面は去年より向上し、体重も落とさずにキープできている。最後まで集中力があった。食事も普通に。週に6日、ステーキということもあった。9オンス(約250グラム)とか。試合で同組の選手としゃべることもできた」