「立場の弱い子にも心配りができる子やった」 バレー男子「高橋藍」の恩師が明かす“素顔”【パリ五輪】
予選リーグ初戦ではドイツに手痛い敗北を喫したものの、続くアルゼンチン戦で勝利、アメリカ戦では勝ち点を積み重ね、決勝トーナメントに駒を進めたバレーボール男子。48年ぶり四強入りを賭けた準々決勝ではイタリアに惜しくも敗れ、目標としていたメダルには届かなかった。 【写真30枚】「真剣なまなざし」に「愛くるしい笑顔」… 高橋藍の“コロコロ変わる表情”がたまらない ***
「周りを和ませるタイプ」
そんな日本代表の主将を務めるのは絶対的エースの石川祐希(28)。その石川の背中を追い続け、今やチームの中心選手になったのが高橋藍(らん・22)である。 「藍」という一風変わった名前は、野球好きの父親が「ホームラン」から取った。兄の名前は塁。父親の好みをよそに、塁はバレーボールに関心を示し、藍も兄の後を追って小学2年から競技を始めた。 藍が通っていた京都市立常盤野小学校の5、6年時の担任教師、戸嶋明美さんが振り返る。 「スポーツは万能で、何でもできましたね。走らせても速いし、サッカーも跳び箱も上手でした。普段は冗談を言ったりして周りを和ませるタイプ。クラスの雰囲気が良くなるので、私は頼りにしていました。今もインタビューでフォロワーがなんぼとか言っていますよね。そういう冗談めいたことを言う子なんです」 パリ五輪壮行会で藍は自分のことを「インスタグラムのフォロワーが225万人の高橋藍です」と紹介している。 「立場の弱い子にも心配りができる子やったんで、勉強が苦手な子、運動が苦手な子にも積極的に声かけをしてね。バレーボールが苦手でも、“藍がいるから”ってバレー部に入った子も何人かいましたよ」
バレーで結果を出しても謙虚だった
藍の出身校、京都の東山高校バレー部の豊田充浩総監督も、 「私はバレーの監督だけではなく、高校3年間担任もやっていましたが、どんなにバレーで良い結果を出しても偉そうにしたり横柄になったりすることは全くなく、謙虚に学校生活を送っていました」 と、こう述懐する。 「最初に彼のことを認識したのは中学1年の時。彼のお兄さんがバレーボールをしていて、うち(東山高校)で合同練習をやる機会があって、その弟さんとして、です。背丈は大きくないけど、球さばきというか、バレーのセンスがすごくある子だな、と。その後も折に触れて見ていく中で、守れるし、打てるし、センスも抜群ということで、スカウトさせてもらいました」 2年までは全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高)に出場できなかったが、キャプテンとして臨んだ3年の時に出場を果たし、優勝。高校MVPに選出され、2020年度日本代表登録メンバーにも選ばれた。 「石川(祐希)くんの対角を務められる選手がいないというのが、長らく日本の課題でした。打てても守りが不安定とかね。そこへ、サーブレシーブが安定していて守備力があり、スパイクセンスもあって、という高橋藍が現れた。念願の石川の対角が出てきたわけです」 と、豊田氏は言う。 「守備も攻撃力も高校の頃から群を抜いていました。ただ、代表に入って世界を体験した後、あとどれくらい攻撃力を上げられるかというのが課題でした。それでイタリアに行き、世界の高さに対抗できるスパイク力を身に付け、体つきも大きく力強く変わりました」 実力も人気も世界レベルの高橋藍。今後の活躍から目が離せない。
「週刊新潮」2024年8月8日号 掲載
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