年に一度だけ山開きが行われる足立区・千住富士と千住神社へ【プロハイカー斉藤正史のTOKYO山頂ガイド】
東京23区内、特に山手線の内側はビル街や飲食店街、住宅街ばかり。そう思っている人が多いかもしれません。でも、目を凝らせば東京都心にも「山」はあります。そんな東京の山の世界を、日本で唯一のプロハイカーである斉藤正史さんが案内します。 【写真9枚】登山口(最寄り駅)は、東京メトロ日比谷線、千代田線の北千住駅仲町出口。ディープな町並み、千住郵便局電話事務室、千住神社など登山道を写真で見る FILE.90は、足立区の千住富士です。
第90座目「千住富士」
◆今回の登山口は、東京メトロ日比谷線、千代田線の北千住駅です 今回の登山口(最寄り駅)は、東京メトロ日比谷線、千代田線の北千住駅仲町出口。目指すは、千住富士です。 そもそも千住は、江戸時代から日光街道の宿場町として発展しました。「北千住」という名称は、千住のうち隅田川北側に位置する北組・中組の呼び名であり、行政地名として北千住はありません。駅周辺は足立区屈指の繁華街で、百貨店はないものの丸井やルミネなどの大型商業施設や、下町情緒が残る商店街も多数あるそうです。 ◆ディープな飲み屋街を抜け、名建築に遭遇 ということで、登山口の北千住駅を出発。早速、下町らしい飲み屋街の入り口が見えてきました。駅に並行して並ぶ飲み屋街沿いを歩き、ビル内にある人とすれ違うのも大変なほどの通路で飲み屋街の中心部に進みます。ディープな雰囲気がたまりません。 すぐに目に入ったのが「シチュー屋」です。シチュー屋という名の居酒屋さんで、鍋や海鮮が有名な評判の良い人気店だそうです。予約もなかなか取れないお店のようでした。 もうひとつ、僕が今回気になったお店は「肉三昧石川竜乃介」。なんだか人の名前のようなお店ですね。 リーズナブルで美味しくて、人気のあるお店だそうです。特にランチはこのボリュームでこの値段?と一瞬東京であることを忘れそうです。ここ、行きたいな、と素直に思いました。 ディープな路地をこのまま進んでいきます。千住本町商店街に入ってから西方向に進みます。そして日光街道をわたると、なんともモダンな建物が現れてくるのでした。 実はこの千住郵便局電話事務室、地図を見て発見し、気になっていました。僕は元郵便局員なので、ぜひ見ておきたいと思っていた場所です 1912年(明治45年)、当時の千住郵便局で開始した特設電話交換業務を継ぎ、1929年(昭和4年)に竣工した建物です。逓信省(かつて存在した郵便、通信、運輸を管轄する中央官庁)の技師である山田守によって設計された、いわゆる逓信建築の一つだそうです。1932年(昭和7年)、合併により足立区が発足することとなり、名称も足立郵便局電話分室に改称されました。 1995年ごろに建て替えの計画があったそうですが、基礎工事が堅固であり、また解体費用がかさむため、計画は立ち消えたそうです。その後、NTT足立電話局として使用され、2002年、足立局廃止後はNTT東日本千住ビルという名称で使用されています。 ・ちょっと深堀り「逓信省の建築」とは―― 逓信省の建築が他の官庁建築と異なるのは、通信という時代を先取りする業務分野を担っていたからだそうです。いわゆるお役所建築とは違い、合理的・機能的で妥当な建築を目指しました。そんな中、優秀な建築家が逓信省営繕課に集まるようになり、世界の近代建築運動とも相まって独自の建築様式をきわめたそうです。 特に関東大震災以降は、近代建築の手法をより多く取り入れたそうです。そんな逓信省の建築家の中でも傑出しているのが、東京中央電信局などを設計した山田守さんと、東京中央郵便局と大阪中央郵便局を設計した吉田鉄郎のお二人になるそうです。この千住郵便局電話事務室を設計したのも山田守さんです。 千住郵便局電話事務室を離れ、千住消防署を過ぎると、細い路地に入っていきます。すると、気になるお店が現れました。 看板に「Used Select Shop RAINBOWFIELD」とあります。まさかこんな路地にお店があるとは思ってもみませんでした。お店が閉まっていたので店内を確認できませんでしたが、あとで調べたらブランド古着、ヴィンテージ、アンティーク雑貨などのセレクトショップだそうです。ちょっと覗いてみたかったな。 「Used Select Shop RAINBOWFIELD」から住宅街を道なりに進んで行くと、目的地の千住富士がある千住神社にたどり着きました。この日は雨がちらつく天気で、神社に着くと直ぐ本降りになったので、木のたもとで雨宿り。ここまで来たらと急ぐ必要もありません。 ◆目的地の神社&富士塚に到着 ・千住神社 千住(千寿)に集落が形成され始めた926年(延長4年)、土地鎮護と五穀豊穣を祈り、伏見稲荷より分霊を勧請し千崎稲荷神社が創建されたと伝えられているそうです。1279年(弘安2年)、武蔵国一ノ宮氷川神社より分霊を勧請し氷川神社を創立しました。 寛永年間に至り、千住が日光街道の第一宿となり、その西方にあることから西の森とも言われたそうです。1873年(明治6年)千崎稲荷神社と氷川神社を合祀して西森神社と改称。1915年(大正4年)に千住神社と改め、1923年(大正12年)には浅間神社を勧請、富士塚を建立したそうです。 ・千住富士 上記の説明にあるように築造は大正時代ですが、現在の千住富士は1936年(昭和11年)に再築されたものだそうです。この千住富士、黒ボク石(溶岩)でゴツゴツして強烈なインパクトがありますが、岩が滑りやすいため基本的に登攀はNGです。ただ、年に1回、毎年7月1日のみ登ることが可能な「山開き」が行われます。 今も宿場町の名残がある北千住。繁華街が広がる駅前から10分少々歩くだけで千住神社、そして千住富士があり、さまざまな年代の歴史を感じることができました。北千住、ちょっとハマりそうな予感がします。 次回は足立区の大川富士です。 私が書きました! プロハイカー 斉藤正史 2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿する傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動「山形ロングトレイル(YLT)」を行なう。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、スルーハイクしたトレイルだけで22.000km(地球半周以上)を超える。最新情報はブログを。
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