大相撲の師匠は「おやじ」、背中は永遠 ウルフの迫力と優しさ、猛牛の懐と気遣い…「父の日」を機に思う、師弟の絆の大切さ
名跡を受け継いだ境川親方は師匠から何を学んだのか。「背中だよ、背中。背中だから」。簡潔な答えの中に全てが凝縮され、言葉よりも生き方を追いかけたという意味と察する。東京都足立区舎人にある境川部屋の稽古場奥の壁には、17年4月に亡くなった師匠の大きな遺影。弟子を率いる境川親方の後方に位置し、今度は「おやじ」がその背中を見守っている。 ▽冷や汗から大粒の涙、師匠の気遣い 大相撲史に残る「おやじ」といえば、先代佐渡ケ嶽親方(元横綱琴桜)だ。24年夏場所に孫の大関琴桜が半世紀ぶりにしこ名を復活させたことで、その存在が再びクローズアップされた。 一直線の出足と馬力で「猛牛」と異名を取った現役時代の取り口と同じく、真っすぐ前に進む正直な性格が印象的だった。親方になっても変わらぬ太鼓腹は貫禄があり、同時に慕ってくる人を包み込むような懐の大きさも人間味に満ちていた。佐渡ケ嶽部屋の朝稽古に取材へ行くと「おう、いらっしゃい」とほほ笑んだかと思うと、ひとたび土俵に目を向けた後は「この野郎!」。響き渡る弟子への怒声は日常茶飯事だった。07年8月に66歳で急逝する直前まで、稽古場で唯一無二のオーラを放っていた。
怖くて、厳しかった先代佐渡ケ嶽親方だが、それを上回る愛情があった。引退後は漫画家として活躍した、弟子で元三段目の琴剣(ことつるぎ)の宮田登さんは21年3月に逝去する直前まで、師匠の話になると目を潤ませることが多かった。 宮田さんが「思い出すだけで泣けてくる」という逸話がある。98年に千葉県船橋市内でちゃんこ店を開店した直後、師匠が来店してくれた。恥ずかしくないように、とびきりのごちそうで待ち受けた。のれんをくぐった親方は料理をちらっと見ると、すぐに背中を向けて店を出て行った。 「物足りなかったのかな」と焦る弟子の冷や汗が大粒の涙に変わったのは、次の瞬間だった。師匠は近隣にある一軒一軒の店を手みやげ持参で回り「このたび、私の弟子の琴剣が店を出しました。皆さん、どうかよろしくお願い致します」と頭を下げ続けたという。 この話は師匠の訃報を受け、宮田さんから明かされた。「あの時はもう涙が止まらなくて、止まらなくて…。ここまで弟子を思い、気遣ってくれる親方はいない。最高のおやじです」と声を震わせていた。
師弟関係は決してきれいごとばかりではない。毎日一緒にいると嫌なことがあれば、感情のもつれもあるだろう。それでも師匠に育ててもらった感謝を弟子が忘れなければ、大相撲の古き良き伝統は紡がれていく。おやじの背中は永遠だ。