大相撲の師匠は「おやじ」、背中は永遠 ウルフの迫力と優しさ、猛牛の懐と気遣い…「父の日」を機に思う、師弟の絆の大切さ
さりげない優しさもあった。多くの弟子の前で罵声を浴びせたと思ったら、終わった後で個別に呼び「おまえのために言ってるんだよ。分かるか?」と静かな口調でフォロー。報道陣の取材では的外れな質問をした記者に皮肉、時には厳しい指摘も確かに少なくなかった。私は「ウルフ」の迫力と叱責で震え上がったことも何度かあったが、後日に必ず「おまえなあ、あの時はな…」と、なだめてくれた。九重親方が「昔ながらの頑固おやじだよね」と言う通りで、怒られるたびになぜか引き付けられた。 そんな師匠が61歳で亡くなったのは16年7月だった。九重親方は約3カ月前の4月29日に誕生日を迎えた際、師匠からお祝いのコチョウランと同時に「しっかり頑張っていこうね」とLINEでメッセージをもらった。だが、いつも文末にある絵文字がなく「今にして思えば、体がしんどかったのかな…」と視線を遠くにさせる。 最後の思い出は、その頃だった。師弟は2人で北海道から沖縄まで全国各地を回り、後援者にあいさつ。死期を悟っていたのだろうか、師匠は行く先々で「私の次は千代大海です」と告げたという。九重親方は「もう感謝しかない。素晴らしい師匠だった」とつぶやく。今でも月命日の31日には手を合わせ、偉大な背中を思い返している。 ▽「背中だよ、背中。背中だから」
40以上を数える相撲部屋の師匠のカラーは十人十色だが、いわゆる「おやじ」のイメージがぴたりと当てはまる一人に境川親方(元小結両国)が挙げられる。1962年7月30日生まれの61歳。押し相撲で鳴らした固太りの丸い体は現役時代をほうふつとさせ、よく通る野太い声を耳にすると、背筋が伸びる。 稽古場の上がり座敷にどんと座り、眼鏡の奥の鋭い視線を光らせるだけで空気が張り詰める。威厳のある師匠の下で大関豪栄道(現・武隈親方)を筆頭に数々の硬派な力士が生まれている。 その親方が没後もなお敬愛するのが、日大から出羽海部屋に入門した当時の師匠だった元横綱佐田の山だ。自身のわずかな陰りを察すると、2場所連続優勝の翌場所にすぱっと引退した。日本相撲協会の境川理事長として90年代後半に着手した年寄名跡改革が頓挫すると、潔く退任。引き際の美学を貫く姿に「筋どころではない。おとこ気に鋼鉄が通っていた」と、かつて評したことがあるほど魅了されていた。