「愛の中で逝かせて」21歳の娘は安楽死を選んだ 受け入れた母の思い 世界で初めて合法化したオランダ、21年たってどうなった
医師が致死薬を投与するといった方法で行われる「安楽死」は、日本では認められていないが、オランダは2002年、世界で初めて国として合法化した。21年たった今、何が起きているのか。国民の間ではどう受け止められているのだろうか。21歳の娘が安楽死した母親や、賛否の異なる団体に現地で話を聞いた。日本で議論する際の材料になればと思う。(共同通信=市川亨) 安楽死選んだパラ金メダリスト、見送った両親は今
▽「生きることに対応できない」 オランダ北部フリースラント州に住むビアンカさん(54)は2021年、長女デニーセさん=当時(21)=を安楽死で亡くした。ビアンカさんによると、デニーセさんには自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)があった。他の子どもとうまくコミュニケーションが取れず、12歳の頃からパニック症状が現れるように。家庭では対処が難しくなり、14歳で施設へ入所した。 15歳の時に自殺を図り、施設を変えるなどしたが、不安定な精神状態は良くならなかった。その後も自殺未遂を10回以上繰り返し、18歳の時には「1人で死ぬのは嫌だから、安楽死したい」という手紙を両親に書いた。 「娘は『ほかの人ができることが自分にはできない』と苦しんでいた」。ビアンカさんはそう話す。「私たちは『あなたはあなたのままでいい』と何度も言った。でも、本人がそれを受け入れられず、苦しんでいた。『死にたい』というより『これ以上、生きることに対応できない』。それが娘の気持ちでした」
▽「決めつけないで」 オランダには「安楽死専門センター」という機関があり、精神疾患がある人など一部のケースを扱っている。デニーセさんはこのセンターに登録したが、精神疾患の場合は治療やケアで良くなることも多いため、オランダでも安楽死の審査は慎重に行われるという。 デニーセさんも約10カ月間の経過観察があり、約1年半の審査を経て安楽死が認められた。最後の2週間は自宅で過ごし、安楽死の前夜はビアンカさんと手をつないで寝た。 当日「やっとこれで逝ける」とベッドに駆けていったデニーセさん。医師から左手に致死薬を注入され、家族に囲まれて笑顔で亡くなったという。 ビアンカさんはこう振り返る。「可能な限りの支援を受けたが、娘の願いは『死にたい』だった。安楽死しなければ、いずれ自殺したと思う。どちらかを選ぶとしたら、安楽死のほうがいい」 デニーセさんは肩に「Don’t judge(決めつけないで)」というタトゥーを入れていた。ビアンカさんが気持ちを代弁する。「周りはいろいろ言うけれど、本人の苦しみや気持ちは本人にしか分からない。『安楽死はすべきではない』と決めつけず、『安楽死しない』という選択を含めてどちらも尊重してほしい」