自動車の「内燃機関」に未来はあるのか? 2017年クルマ業界展望
ひと昔前、自動車のエンジンといえば、レシプロエンジンが主流でした。シリンダー内でピストンが往復運動することで力を生み出す内燃機関の一つです。それが、近ごろは環境対策として、ガソリンエンジンなどから出る排気ガスへの規制が強まっていることから、モーターで駆動する電気自動車(EV)や燃料電池車などの「エコカー」が次々と登場しています。時代の流れの中で、肩身が狭くなる一方にも感じる内燃機関。もう終わりゆく技術なのでしょうか。モーター・ジャーナリストの池田直渡氏に寄稿してもらいました。 「トヨタ1強」時代の始まり 2016年クルマ業界振り返り
◇ 新年そうそうに硬いテーマだが、年の初めだからこそしっかり考えておきたいテーマでもある。この地球上では毎年毎年新車が約1億台販売される。これが後20年後には1.5倍になりそうだ。新たな5000万台は、中国の非富裕層マーケット、インド、ASEANで売られる。 クルマの台数が1.5倍になるとしたら、そしてクルマによる環境負荷をせめて現状キープにとどめたいとしたら、計算上、クルマの環境性能を上げて、環境負荷を3割軽減しなくてはならない。
エコは美しい話ではない
エコカーと聞くと「つまらないクルマ」だとか「夢がない」と切り捨てる人が見受けられるが、エコなんて無視して排ガスをどかどか出すクルマをみんなで満喫していれば、遠くない未来にクルマは法的に全面禁止ということになってしまう。絶滅を覚悟してのやりたい放題。それはあまりにも諦めが良すぎる。 筆者などはことクルマに関する限り欲深いので、死ぬまでクルマを楽しんでいたい。だからこそ環境技術が進歩することを歓迎するのだ。 そもそも論で言えば、ホモサピエンスは異常繁殖してしまった。地球環境を中心に考えれば、人類が1/10くらいに減ることが一番良いし、文明を全て喪失してエネルギー消費ゼロ社会にした方が良い。しかしわれわれは人類の一員なので、そんな風に「地球」を主役には考えられない。「環境に悪いのは分かっているけれど、人類はどうかこのまま生き延びさせていただきたい」と祈らざるを得ない。「神の見えざる手」は万能だが、所詮は「神」なので人類の都合なんて考えてはくれない。人類どころか地球そのものだって、不適格と見れば退場させる調整要素のひとつでしかない。だから神の見えざる手ではなく、人間がなんとかしなくてはいけないのだ。 飾りのない言葉で言えば、われわれは地球の環境を人類に都合良く、できるだけ長くしゃぶり尽くすためにこそエコを考えるのであって、それは正義や美談でやるのではない。全くもって美しい話ではなく、エコとは人類のエゴそのものである。我々はもっともっと悪だくみをしてとことん長く地球環境をしゃぶり尽くす知恵を出さなくてはならないのだ。偉くも何ともない生き残りの手段である。