ヘビー級のアンディスピューテッド・チャンプ
5月18日(日本時間19日)にサウジアラビア・リヤドのキングダム・アリーナで挙行された世界ヘビー級タイトルマッチは、リングの歴史において大きな意義のある一戦だった。タイソン・フューリー(イギリス)とオレクサンドル・ウシク(ウクライナ)、現在のヘビー級シーンで戦うべき両者の激突であったのみならず、主要4団体の王座が一本化されるという記念日でもあったからだ。
井上尚弥を筆頭に近年の統一戦ブームでボクシングファンになじみ深くなった「アンディスピューテッド(Undisputed)チャンピオン」は、そのまま訳すと「比類なき王者」だが、要は誰もが認めるチャンピオンの称号である。 王座認定団体の数が少なかった昔はもっとシンプルだったが、“4ベルト時代”のいま、その手っ取り早い証明は全団体の世界王座を集めること。ヘビー級では初の4王座統一である。 ヘビー級にアンディスピューテッド・チャンプが誕生するのは、約四半世紀前(1999年)のレノックス・ルイス(イギリス)以来となる。58歳になったルイスはフューリー対ウシク戦前からメディアにたびたびコメントを求められていた。 「私は25年間、比類なき王者なんだ」と言ったものである。ルイス引退後、ビタリ&ウラジミールのクリチコ兄弟がヘビー級王座を独占したこともあるが、そこに一人で君臨したチャンピオンは彼以降現れていないのである。 実際、現役時代のルイスが最高だったことに文句をつけられる者がどれほどいるだろうか。 ルイスはジャマイカ人の両親を持ち、幼少期にイギリスからカナダへと移り、カナダ代表としてソウル五輪に出場。スーパーヘビー級で金メダルを獲得した。再びイギリスに戻ってプロに転じ、世界ヘビー級王座を3度獲得。1999年11月にはイベンダー・ホリフィールド(アメリカ)との対戦を制し、王座を統一して比類なきチャンピオンに輝く。引退する時もチャンピオンのままだった。殿堂入りも果たしている。 ちなみにホリフィールド戦にかけられたタイトルはWBA(世界ボクシング協会)、WBC(世界ボクシング評議会)、IBF(国際ボクシング連盟)の3王座だったが、これは現在と異なり、まだWBO(世界ボクシング機構)がマイナー視されていたからである。ファンとしては今以上に「メジャー団体」が増えないことを望む。 ホリフィールドとの統一戦は、1999年に2度行われている。というのも同年3月の第1戦は引き分けで真のチャンピオンが決まらなかったためだ。しかしこの試合は多くがルイスの勝利を支持したうえに、疑惑の判定をめぐって政府機関まで調査に乗り出したほどだった。その8ヵ月後に直接再戦が行われ、今度こそ判定勝ちを収めたルイスはようやく自身の持つWBCタイトルにホリフィールドのWBA、IBFを加えた。