かつて解散になった宗教法人「法の華」「明覚寺」 ――その背景と統一教会との共通点
解散命令の要件は
宗教法人法81条1項は解散命令について記している。一つでも該当する要件があると認められたときは、所轄庁や検察官などによる請求、もしくは職権で解散を命じることができる。その要件で重要なのが1号だ。 <法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと> この要件が最初に適用されたのが、地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教だ。1996年1月に最高裁で解散命令が確定。同年3月に東京地裁が教団に破産を宣告した。 ただ、このオウム事件と同時期、信者を騙して高額なお金を集めていた団体が複数あった。その一つが法の華であり、もう一つが明覚寺(みょうかくじ)だ。明覚寺には2002年1月、オウムに続いて解散命令が出された。
「水子の霊」で女性狙った明覚寺
明覚寺の霊視商法被害者弁護団で事務局長だった瀬戸和宏弁護士が言う。 「宗教は本来、人を幸せにするべきものだと思います。しかし、明覚寺がやっていたことは、ひたすら人を脅かし、お金を巻き上げ、人を不幸にさせることでした。民事だけでなく、詐欺の刑事事件でも立件され、幹部らは実刑判決となりました」 明覚寺事件には前段がある。本覚寺という名での事件だ。 教団トップの男は1982年にコンドームの訪問販売の会社を起こしたのち、1986年に真言宗醍醐派で僧籍を取得。翌年、茨城県に本覚寺を設立すると、同派から独立。首都圏各地のビルで霊視商法を展開しはじめた。1991年頃から首都圏の消費者センターに多数の苦情が寄せられるようになり、1992年に弁護団が結成。不法行為を理由に損害賠償請求訴訟が提起されていった。 1995年までの第5次訴訟で、被害額の96%の賠償を受ける和解が成立した。にもかかわらず、問題は一向に減らなかった。なぜなら別の名称の寺院が1992年以降につくられ、そちらで全国展開されていたからだ。そんな寺の一つが、和歌山県の明覚寺だった。 これはいまの旧統一教会の名称変更問題とも関連すると瀬戸氏は指摘する。 「1992年頃、週刊誌や新聞が追及キャンペーンを張り、本覚寺の名称は知られるようになりました。そこで、教団は新しい名の寺を複数つくり、そちらで活動していった。本覚寺から命源寺、そして明覚寺、あるいは満願寺。折り込みチラシも運命鑑定など表記を変えた。名称変更があると、それまでの問題とは別物だと誤解してしまうのです」