漫才に対する分析が鋭すぎ、ノンスタ石田の「漫才か、漫才じゃないか」の答え やすきよ大師匠の掛け合いにみる「漫才の原点」
一方、漫才コントとコント漫才は、コントの手法を取り入れた漫才のこと。コント=劇なので、特定の場面設定のもとで2人が役柄を演じます。よく見る典型は、「俺、ずっと◯◯してみたかってん」「ほなやってみよか」式に漫才に入るやつですね。 ■「漫才コント」が多いNON STYLE じゃあ、漫才コントとコント漫才はどう分けられるかといったら、「設定の中の役柄と素の自分を行き来する」のは漫才コント、「設定の中の役を演じ切る」のはコント漫才、という区別です。簡単にいうと、より漫才に近いのが漫才コントで、コントに近いのがコント漫才という分け方です。
僕が「NON STYLEのコント」と言われると違和感を覚えるのは、コント漫才よりも漫才コントをやることが多いからです。 NON STYLEにも、場面設定をしたうえで漫才に入るネタはたくさんあります。ただ、コントの設定の中にいる時間よりも、漫才、つまり素の自分たちのしゃべくりをしている時間のほうが長いんです。 たとえば、2008年のM-1決勝で1本目に披露したネタ「人命救助」は、「川で少年が溺れているのを発見したらどうする?」という井上の振りで始まります。
そこから「少年を助けるために携帯で救急車を呼ぶ」という場面設定になります。 石田:頭痛いので救急車1台 井上:お前のために呼ばんでええねん。少年のこと聞いてくんねん。少年の意識はありますか? 石田:意識はないです。あともうやる気もないです 井上:お前の話はいらん! 息はしていますか? 石田:息はしていません! てか息が合っていません! 井上:俺らの話はどうでもええねん! このように、僕は「携帯で救急車を呼ぶ」という設定の中でも、「もうやる気もないです」「息が合っていません!」と、「素の石田」としてボケて、それを「素の井上」が突っ込みます。
つまり、「設定上の井上・設定上の石田」になったり、「素の井上・素の石田」に戻ったりを繰り返しているわけです。 一方、コント漫才では「素の自分」に戻ることなく「設定上の役柄」を演じ切ります。それを見事に成立させている代表格は、サンドウィッチマンの「ピザ屋」のネタですね。 このネタでは富澤(たけし)さんも伊達(みきお)さんも、素の自分をいっさい見せることなく、ピザ屋の店員とお客さんという役柄を最後まで演じています。コント漫才では、すでにボケとツッコミが場面設定を共有している一種の共犯関係にあり、あくまでもツッコミは「コント内のキャラクター」として振る舞うことになります。