漫才に対する分析が鋭すぎ、ノンスタ石田の「漫才か、漫才じゃないか」の答え やすきよ大師匠の掛け合いにみる「漫才の原点」
漫才に対する分析が鋭すぎて、「石田教授」とも呼ばれているNON STYLEの石田明さん。「M-1グランプリ2023」で優勝した令和ロマンの髙比良くるまさんも石田さんから薫陶を受けたといいます。 そんな石田さんが「漫才論」をまとめた書籍『答え合わせ』から抜粋、「漫才か、漫才じゃないかの違いは何か」という疑問に「答え」を出していきます。 ■「偶然の立ち話」が漫才の原点 「漫才か、漫才じゃないか」という言葉を最近よく見聞きします。
この言葉自体は昔からありましたが、2020年のM-1でマヂカルラブリーが披露したネタ「つり革」に対して、「あれは漫才じゃない」という声が上がり、SNSを中心に論争が巻き起こりました。僕は当時「あのネタは漫才に決まってるやろ」と、めちゃくちゃ戦いましたが……。 これ以降、漫才師が変わったネタを披露すると、「漫才か、漫才じゃないか」と論争が起こるようになっています。 まずはこの論争に答えを出すために、「漫才とは何か」という、僕なりの考えをまとめてみたいと思います。
漫才の基本は「偶然の立ち話」です。 ある2人がたまたま会ってしゃべり始める。片方が変なことを言って、もう片方が突っ込む。それがどんどん繰り返される。 もっというと、変なことを言うヤツ=ボケという「加害者」と、そのボケに振り回されつつ「なんでやねん」と問いただす常識人=ツッコミという「被害者」の2人がサンパチマイクの前で繰り広げる「おかしな立ち話」──ということです。 そして「偶然の立ち話」なので、ボケがどんな変なことを言うのかをツッコミ側が「知らない体」でなくてはいけません。
もちろん漫才は作り物です。台本を作って、何度もネタ合わせをして、調整を加えつつ練り上げたものを持って舞台に立つ。それは見るほうもわかっている。かつては「ネタ合わせ」があること自体、お客さんは意識していなかったかもしれませんが、今は完全にみんな理解しています。 それでも、「偶然の立ち話」という設定のもとで、どれだけ「打ち合わせがない」ように見せられるかどうか。どちらかが変なことを言って、どちらかが突っ込む、ボケの加害者が仕掛けてツッコミの被害者が打ち返す、というのがずっと繰り返されるのが、漫才の基本です。