内閣改造で支持率は上がる? 過去の事例は 坂東太郎のよく分かる時事用語
過去の内閣改造と支持率の関係
改造直前から既に「進次郎氏はどうする」「橋下さんは受けるのか」など憶測が飛び交って話題となります。新聞も同じ。当日は朝の閣議から新大臣の記者会見までテレビが一挙手一投足を追いかける特別編成で「ああだこうだ」と伝え「電波ジャック」状態。翌日の新聞も大々的に取り上げます。こうしたインパクトに加えて、新しいもの好きの日本人は「ご祝儀相場」を用意し、一説には5%から10%の内閣支持率アップが期待できるといわれています。
《成功例》
事実、過去の例でも支持率が上がったケースはあります。平成以降でみていきましょう。 2003年9月の第1次小泉純一郎第2次改造内閣は54%から65%まで伸ばしました。拉致問題の対応で名を上げた安倍晋三氏を自民党幹事長(党ナンバー2)へ抜擢したのを始め、麻生太郎総務大臣、福田康夫官房長官など後に首相となる人材を取り込み、小池百合子環境大臣や石原伸晃国土交通大臣など人気者も任命したのです。 ただ今回の改造前に安倍首相が「小泉純一郎さんが田中真紀子外務大臣を更迭した時にも支持率が下がった」と会食で語ったとされる点については改造効果と言い難い経緯があります。 第1次小泉内閣時代の2002年1月、小泉政権“生みの親”で歯に衣着せぬ物言いで国民に支持されていた田中氏を更迭した後、確かに支持率は70~80%台の驚異的レベルから4割台にまで下がりました。急伸したのは同年9月17日の日朝会談を国民が評価したからで7割近くまで戻しました。その後の第1次改造は9月30日に行なわれ、若干支持率を落としています。 2007年8月の第1次安倍改造内閣も22%から33%へアップ。前年発足の政権は大臣の失言や恒例の「政治とカネ」にまつわる不祥事が噴出したのに加えて「消えた年金」問題がさく裂し、翌年の参院選で自民党は大敗を喫しました。一部に「安倍首相は辞任するのではないか」との声がある中、求心力再構築のために改造へ打って出たのです。高村正彦防衛相、町村信孝外相ら実力者を起用しました。 2009年に自民党中心勢力から政権を奪った民主党政権2人目の菅直人首相も10年9月の1次改造で支持率を48%から64%に上げました。代表選挙で実力者の小沢一郎候補を破った勢いそのままで、金銭疑惑のただなかにあった小沢氏とそのグループを排除して「脱小沢」色で組閣したのが受けたようです。党幹事長に小沢氏と遠い岡田克也氏を起用したのも好感されました。