終戦の日に徹底証拠隠滅 いまだ謎多い旧陸軍登戸研究所偽札作戦の闇(上)
北朝鮮が大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発に成功したと、連日にわたって報道されています。これまで北朝鮮はアメリカ本土まで届くミサイルを開発できていませんでしたが、ICBMの開発成功で日本のみならず世界が緊張状態になっています。 アメリカ本土に脅威をもたらす北朝鮮のICBMですが、太平洋戦争時にアメリカと敵対していた大日本帝国でも大陸間兵器が開発されていたことはあまり知られていません。“風船爆弾”と通称される大陸間兵器は、神奈川県川崎市の陸軍登戸研究所で研究されていました。風船爆弾のほかにも、登戸研究所は化学兵器や電波兵器など、高度な技術力を必要とする兵器を研究・開発していました。 敗戦後の1950(昭和25)年、登戸研究所の敷地は明治大学に購入されて、現在に至ります。明治大学は2010(平成22)年に老朽化していた登戸研究所の建物をリニューアルし、新たに明治大学平和教育登戸研究所資料館としてオープンさせています。
明治大学生田キャンパス一画にひっそり
小田急線生田駅から、歩くこと5分。小高い丘の上には明治大学の生田キャンパスがあります。学生たちが闊歩するキャンパスの一画に、明治大学平和教育登戸研究所資料館はひっそりと佇んでいます。 同館は、戦前期に日本陸軍が秘密戦のために兵器や資材を開発・研究していた登戸研究所を歴史的に記録し、平和教育に役立てるたることを目的にしています。 同館は陸軍登戸研究所を前身としますが、登戸研究所は1937(昭和12)年に開設されました。冒頭で触れた風船爆弾や広島県の大久野島で実験されていた毒ガス兵器なども、登戸研究所がきたる中華民国との戦争を想定して研究・開発したものです。 そんな日本軍の軍事機密が詰まった登戸研究所の中でも、秘密中の秘密とされていたのが経済謀略戦用兵器の開発を担当していた第3科です。 第3科は紙幣の偽造を担当し、主に中国民国の紙幣「法幣」の偽札を製造していたとされています。戦後、証拠隠滅のために第3科の文書が焼却処分されたことや関係者が口を閉ざしていたことから、戦後70年以上を経た今でも登戸研究所の偽札については全容が解明されていません。