連載 ウクライナのいま 第2回「戦争で変わった旅の姿」
■比較的安全な西部で観光開発進む
この戦争は、もうすぐ3年が経過します。冷たい塹壕(ざんごう)で凍える兵士たちや、砲撃を連日受ける前線地域に住む人々のことを考えると、休暇を取るということは心理的に難しいものです。その一方で、戦争のことばかり考え、休みを全く取らないということも不可能です。18歳から60歳の男性が国外に行けないという事情もあり、いま、多くの人が旅先として選んでいるのがウクライナ西部です。 多くの歴史的遺構とカルパチア山脈をはじめとする豊かな自然に恵まれたこの地域には、ロシア軍の攻撃が(他の地域に比べて)少なく、ウクライナの人々にとって唯一残された安全なオアシスとなっています。この戦争の結果、ウクライナ西部には、たくさんの企業が移転し、新たなホテルが建設され、リゾートが次々と開発されています。ハルキウやキーウ、ポルタワ、スムイやその他の地域のウクライナ人は、平穏と活力を得るため、西部への旅に向かうのです。
■西部へ出発 移動のリスクも
学校が1週間の秋休みに入った10月末、空襲警報も夜の無人機攻撃も、弾道ミサイルや巡航ミサイル攻撃もない地域で子どもたちが過ごせるよう、私たち家族は西部のザカルパッチャ州に行くことに決めました。 その日、午前5時に外出禁止令が解除されると、すぐさま、寝ぼけ眼の子どもたちを車に乗せて、ブランケットをかけ、ヘッドライトの明かりを頼りに出発しました。私の心は子どもたちを安全な場所へ連れて行けるという喜びに満たされていました。 車を数時間走らせると、最初の検問所に差しかかりました。軍の制服姿の人たちがいるのを目にした娘は、私の肩をつかみ、こう言いました。「パパ、あの人たちはパパを戦争に連れて行かない?」 その瞬間、はっとしました。数分前までの娘の子どもらしい笑顔は、父親である私を失うかもしれないという恐怖によって、かき消されていたのです。検問所を通過する際、動員対象年齢の男性が、そのまま軍隊に入隊させられる事例が多く報道されていて、ウクライナでは、ある日突然、動員されることへ不安が高まっています。 とてもつらいことに、数千人、数万人のウクライナの子どもたちは、すでに父親と共に暮らしていません。3年もの間(戦地で戦う)父親や母親を抱きしめ、共に時間を過ごすことができていない子どもたちが数多くいます。そして、永遠に帰って来ない親も大勢いるのです。 私は言いました。「心配しなくていいよ。全部、大丈夫だから。そばにいるよ! いま、このお休みで何をしようかと考えていたところなんだ」 しかし、娘は安心せず、「学校には父親が連れ去られた友達がいる」と続けました。幸い、今回の旅では道中の3つの検問所全てを無事に通過することができましたが、その度に娘は大変、心配そうな表情を浮かべていました。 戦争は、もうすぐ3年になろうとしています。動員は続き、ウクライナの子どもたちは、子どもらしい話題の代わりに、動員や不安な気持ち、都市へのロシア軍の攻撃について話をしています。ロシアの侵略がウクライナという国を3年もの間、破壊し続けていることは、なんと嘆かわしいことでしょう。戦争が子どもたちから「子ども時代」を奪い、北朝鮮の兵士たちがウクライナ軍と戦っても、世界の多くの指導者たちは「懸念」を表明するばかりで、中にはロシア側が定義する「平和」について口にする指導者もいます。