50歳で競輪選手になった女性が突然の引退「夫の急死、頸椎の骨折」でも新しい夢を見つけた高松美代子の現在
もともと負けず嫌いなのか、走り始めると「絶対に勝たなくてはいけない」と闘争心が燃えてしまうんです。プロ競輪選手になる前に出場した東京から新潟県の糸魚川まで走るレースでは少しでもいい成績を残そうと、10時間ぶっ続けで走ったりしていました。でも、これからはもう少し余裕をもって「楽しむこと」を心がけたいと思っています。今年の5月に、川崎から北海道の納沙布岬まで1900キロを走るレースに出場したんです。3人チームで出場して、8日間かけて走りました。その間、いろんな出会いがあって楽しかったです。他の参加者に話を聞くと「途中で温泉に入ってきた」とか「名物料理を楽しんだ」という人も。観光などもしつつ、自転車を走らせるのも楽しそうだなと思っています。
とはいえ、大きな目標を設定して達成するのも好きです。2023年にはフランスで1200キロのサイクリングイベント(PBP)を完走しました。今年はイタリアの1600キロのコースに挑戦したのですが、豪雨でナビが壊れて3回の落車でハンドルが握れなくなり、1315キロでリタイア。そこから300キロ離れた宿泊先のホテルまで自転車を持って電車に乗り、ひとりで帰りました。このときが一番ハラハラ、ドキドキしました。来年も、LEL(ロンドンエジンバラロンドン)という1530キロのコースに挑戦するつもり。今後の夢は仲間とチームを組んでアメリカ大陸を横断する5000キロのレースに出場すること。挑戦はずっと続けたいです。
■「感謝の気持ちを忘れないこと」がアスリートの第一歩 ── ガールズケイリンのサポートスタッフとしても活動されているそうですね。 高松さん:女性選手の悩みや要望を聞き、運営スタッフに伝えたり、問題解決をしたりしています。現役の女性競輪選手に伝えていることは、「感謝の気持ちを忘れないこと」です。もともと女性選手による競輪は、1949年から1964年まで存在していました。でも、人気が低迷していて廃止されたんです。「競輪界の黒歴史」と言われるほどでした。2012年「ガールズケイリン」として復活しましたが、当時は「ガールズケイリンは5年持てばいいだろう」と言われていて。