「富士山噴火」の「すさまじい衝撃」…襲い来る「溶岩流」、どう逃れる?
前半では、溶岩流を予測すべく、流路シミュレーションを投影した「ハザードマップ」と、よりわかりやすくした「溶岩流の可能性マップ」をご紹介しました。しかし、マップ上に書き込まれた交通網、ことに富士山南側に走る東海道新幹線や東名高速道路などの大動脈が寸断されてしまうことに、気づかざるをえません。 【前編画像】「溶岩流」果たしてどこまで到達するのか?…富士山噴火の衝撃的被害規模 今回は、溶岩の流路そのものを変えてしまおうという取り組みの例をご紹介します。溶岩の流れを変える取り組みは、なんと、富士山でも溶岩の流路を想定し、訓練が行われていました! 引きつつづき、『富士山噴火と南海トラフ』の著者で、京都大学名誉教授の鎌田 浩毅さんの解説でお送りします。
17世紀には試みられていた「溶岩流の制御」
溶岩流のハザードマップを見て多くの人が気になるのは、溶岩が南へ下った場合、東海道新幹線や東名高速道路が寸断されてしまう可能性があることだろう。国家の危機ともいえるこの事態を、避けることはできないのだろうか。その方策を考えるためには、溶岩流の制御に成功したイタリアのエトナ火山の例が役に立つ。 エトナ火山では、古くは1669年の噴火で、溶岩流の進む方向を変えたことがある。この噴火で溶岩がシチリア島第二の都市カターニアの方向へと流れ下っていったとき、市民たちは大がかりな溝を掘って、パルテノという町の方角へ流路を変えようとしたのである。 このため、パルテノの市民たちは怒って、カターニア市民とのあいだで紛争となった。結局、大量に流出した溶岩流はカターニアの方向へと流れ下り、3000人を超す犠牲者が出た。歴史上たいへん有名な火山災害である。 時代が下り、1983年に起きたエトナ火山の噴火では、ロープウェーの発着場やレストランが溶岩流によって埋没するという事態が発生した。その下流にはニコロージなどの、エトナ山麓の市街地があった。このとき、溶岩が流れてきた初期に冷えて固まった天然の「溶岩堤防」を破壊して、溶岩流の進む向きを変更するというアイデアが考えだされた。 溶岩堤防の側面の崖に何本ものダイナマイトをしかけて、溶岩流の本流から横へそらそうというのである。本流の右岸側に2メートルほどの深さで溝を掘り、過去の噴火で生じた火口へ溶岩を誘導しようとしたのだが、これはあまりうまくいかなかった。 1991~93年にかけて473日間も続いたエトナ火山の噴火の際にも、同様の試みがなされた。