「富士山噴火」の「すさまじい衝撃」…襲い来る「溶岩流」、どう逃れる?
陸軍兵士と消防士が団結して堤防を築く
この噴火では総計2億5000万立方メートル以上の溶岩が、毎秒6立方メートルの割合で7平方キロメートルの地面を覆い、溶岩流はエトナ火山の南東にあるザフェラーナの町へ向けて流れていった。とりわけ1992年1月には、厚さ10メートルもの溶岩が、割れ目火口から5.5キロメートルを流れ下った。それに対し陸軍と消防士たちが、長さ234メートル、高さ21メートルの障壁を築いたのである。 しかし、溶岩流は障壁の基礎部分に達すると、1ヵ月ほどでついに障壁を越えてしまった。急斜面で溶岩は加速し、ザフェラーナの住民7000人を脅かした。やがて溶岩流は最後の障壁を乗り越え、ザフェラーナから離れた2軒の家を破壊し、さらに果樹園を覆った。 火山学者の考案により、別の方法が試みられた。溶岩がつくった土手の上部を空から爆弾を投下して壊し、溶岩を人工の側溝へ流し込もうというのだ。 まず、溶岩流の本流にある「溶岩トンネル」に大きな溶岩の塊を投げ入れて、流れをせき止めた。溶岩トンネルとは、地下を熱い溶岩が流れ下るトンネル状の通路のことで、何キロメートルも下流に溶岩を運ぶ役割をする。さらに、コンクリートの巨大な塊を、溶岩の流れをさえぎるために投下したが、その効果は決定的なものではなかった。 しかし、ついに7トンの爆薬で、溶岩を寸断することに成功した。流れは別の進路をとるようになった。幾多の試行錯誤がようやく実り、溶岩は町の手前にある谷に堆積して、ザフェラーナは破壊を免れたのである。
条件次第で、溶岩の流れをそらすことは可能!
一般に、溶岩流の流出では、進行する突端をせき止めることは難しい。しかし、このように条件がそろえば、流れを別の流路にそらすことは可能である。 溶岩流の流路は、コンピュータのシミュレーションにより、かなり正確にモデル化することができる。粘性と地形の効果をパラメータに選び予想するのだが、たとえば三宅島の1983年噴火の溶岩流では、計算モデルと実例がかなりよく一致していた。ちなみにハワイ島のマウナロア火山やキラウエア火山のハザードマップにも、溶岩が流れ込む危険性の高い地域がこの手法を用いて描かれている(三宅島噴火の例は拙著『火山噴火』にも詳述した)。 爆弾を投下して溶岩流の方向を変える試みは、ハワイのマウナロア火山でも行われてきた。1935年にヒロ市に向けて流れ出した溶岩流に対して、空軍機から大量の爆弾を投下し流路を変えようとしたのだ。その結果、溶岩流のトンネルを破壊することはできたが、期待していた効果はあげられなかった。 爆薬を用いる場合には、溶岩流の流れを直接変えるよりも、火口のそばにできた「火砕丘」を破壊するほうが効果があるという考えもある。火砕丘とは、スコリア(二酸化ケイ素の少ない黒っぽい軽石)や火山灰が降り積もって円錐状の小さな山をつくったものである。 たとえば1942年のマウナロア火山の噴火では、噴出源にあった火砕丘が自然に崩れることによって、幸運にも流れ下る方向が変化した。人為的な方法で溶岩の流れ自体をコントロールしようとしても、直接的な効果は出ないことが多い。むしろエトナ火山の古い例のように、地上で導入路を掘って方向を変えるほうが有効とも考えられている。