僕にとって殺しとは……うーん、「世界平和」とかどう?
あの頃は自暴自棄だった。どうにでもなれと思っていた
遊び足りなくてクラブとバーを回る。適当にお仲間をナンパしようかと考えていたら、スマホが鳴った。こんな時間に仕事の依頼だった。人使いが荒い。 六本木ヒルズのTOHOシネマズに向かった。 土曜のオールナイトとはいえ観客は疎らだった。スクリーンにはマーベルものの映画が映し出されていた。後方の席に腰を下ろすと白人の男が隣に座った。高級食パン専門店の「乃が美」の紙袋を横に置いた。 思えば始まりも似たような感じだった。片田舎にしては有名なハッテン場で屯(たむろ)していたら、隣の爺さんが話しかけてきた。僕は老け専じゃないけどと思っていたら、簡単な犯罪の勧誘だった。そこで度胸を試されて徐々にステップアップし、理科系出身を買われて殺しの世界に辿り着いた。あの頃は自暴自棄だった。親兄弟に縁を切られてどうにでもなれと思っていた。 「이 영화는 중국에서 볼 수 없니(この映画は中国では観られないんだ)」 ドランが小声で囁いた。僕も韓国語で返した。 「なんで?」 「監督が政府に批判的なんだ。だから中国全土にある二万四千のシアターに掛かることはない」 ふーん、そういうものかと思った。
しばらくスクリーンを眺めていた。イケメンが目からレザービームを放つ。美女が指先から武器を生み出す。七千年(!)にもわたって彼らは人類を守り続けているという。こんなスーパーヒーローがいればいいなと思った。僕は途中で席を立つことにした。ドランが訊ねる。 「最後まで観ていかないのか?」 退屈なフランス映画のほうが好きだと言って、紙袋を手にそこを去った。 劇場を出て環状三号線のほうに歩いていたら、あの男を見かけた。ネイビーのジャケットに黒いスラックス。これで三回目だろうか。 この業界は狭い。個別にエージェントと契約を交わしても基本は一匹狼なので同業者と顔を合わせることはない。それでも評判は耳に入ってくるし、日頃はオフな格好を装っていても、ひと目見ればわかる。 背が高い男で、(こちらの誤解でなければ)寂しそうな感じがした。はぐれ者同士、楽しまないかと声を掛けたかったが、またの機会にした。いつかあの男とアクセスする日がくる。僕のこうした予感は外れたことがない。
● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司ヶ谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補。12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補。13年『タモリ論』がベストセラー。他の著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『無法の世界』、エッセー『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。
文/樋口毅宏 写真/野口貴司(San・Drago) スタイリング/稲田一生 編集/森本 泉(Web LEON)