なぜ「人材派遣の会社」パソナが、「淡路島」で事業を始めたのか…? 背後で起きている「社会の大きな変化」
パソナが運営する施設が数多く立地する淡路島は、ときに「パソナ島」と揶揄されることがあります。いったいなぜこの島で、どのような経緯でパソナの開発が進んだのか。淡路島とパソナの独特の関係を、武蔵大学社会学部専任講師の林凌氏が描きます。 【写真】意外…! 淡路島にある「パソナのオフィス」の姿 【前編】「なぜ兵庫の淡路島は「パソナの島」となったのか…そのウラある「官と民」の独特の関係」では、淡路島の現状と、なぜパソナの事業が淡路島・兵庫県に求められたか、その環境的な要因を見ました。 この後編では、パソナが地方創生事業を遂行するようになった背景をたどり、そこから私たちの社会の変化を読み取ります。
「自分の能力をフルに発揮」する
栗山良八郎『とぉない男(やつ)――人材派遣会社』(1986)という小説がある。ノンフィクション作家の森功(2015)は、この小説が南部靖之の生い立ちとパソナグループ(以下パソナ)創業期のいきさつをモデル化したものであり、かつ「記述内容は半ば事実だとする反応」が、彼を知る人の大半から寄せられたことを記している。 むろんこの小説は、おおむね南部のそれまでの軌跡を、一種のサクセスストーリーとして描き出そうとしたものである(森はこの本がパソナのホームページで一時紹介されていたことを記している)。なので、この小説をノンフィクションのように受け取るべきではないだろう。だがそれゆえに本書の主人公像は、一種南部の公的な自画像を示すものとして理解可能なものである。 物語の終盤。西舞靖行(南部靖之役の主人公)は事業拡大のため、新聞の求人広告を読み面接に集まった女性たちを目の前にして、派遣社員になることのメリットを以下のように力説している。 うちが契約した会社へ出向して、そこで仕事をしてもらう。これは自分の能力をフルに発揮できる実に有利な就職なんです。わが国ではまったく新しい画期的システムといえます。(栗山 1986: 249) パソナが創業した1976年はちょうど第一次オイルショック直後にあたり、様々な企業のリストラクチャリングが進んだ時期であった。ライバル企業に吸収合併されることにともなう人員流出を補うために、大手商社から大量の人材派遣を要請された西舞(南部)は、それまで頼っていた知り合いの人脈を超え、広告を通じて人材を集める必要性に迫られる。 そのために彼が考案したのが「自分の能力をフルに発揮」するというフレーズであった。そしてフレーズ発明の甲斐もあってか、彼は無事このビックプロジェクトを成功させ、パソナの事業を軌道に乗せていく。 人材派遣企業の先進性を喧伝する企業小説としての色が強い本作では、一貫してパソナの事業が、結婚にともない再就職が困難となった、再就職を望む優秀な既婚女性を支援するものだという記述が繰り返される。そこでは、女性が先進的かつ主体的なキャリア形成者として捉えられる一方で、対比的に男性が旧来的組織にしがみ付く姿が執拗に描かれ、女性の新たな就労を可能とする人材派遣企業の先進性が喧伝されるのである。 その後に生じたこと(たとえば「派遣切り」や不安定な非正規雇用の増加など)を踏まえるなら、鼻白む記述だと思われるかもしれない。しかし、この記述は淡路島におけるパソナの開発のフィロソフィーを理解するうえで、恐らく決定的に重要なピースを提供している。「自分の能力をフルに発揮」することがプラットフォームを提供すること、あるいはそれを可能にする場へといざなうこと。パソナの人材派遣事業と地方創生事業は、この主張を介して一直線に繋がっている。 この点については、淡路島をめぐるパソナ、あるいは南部自身の語りも傍証となる。南部はここ数年間、本事業について多くのマスコミによるインタビューに答えている。この事自体が、恐らくパソナ内における本事業の位置づけを説明するものだろう。つまり、それはパソナの公的な理念をよく投影したものであり、ゆえにPRされるに値する事業なのである。 今は東京一極集中の問題、あるいは衰退していく地方の問題をなんとかしなきゃならないと言われていますよね。社会課題は年代によってさまざまですが、人が活躍する場を創るという意味でも、今は「地方創生」というテーマで取り組むことが本当に重要だと思っています……最初の事業を始めた頃は、まだ「派遣」という言葉もありませんでした。今は派遣法という法律もできたし、男女機会均等法だとか、女性活躍推進法、一億総活躍推進法などなど、いろんな仕組みができてきていると思います。女性の再就職を応援したいと思って始めた事業が、大きな産業にまでなってきているのは確かですね(南部 2024)。 「人が活躍する場を創る」という意味において、あるいは社会課題(女性の再就職/衰退していく地方)を解決するという意味において、人材派遣事業と地方創生事業は似たものとして位置づけられる。そして社会課題の解決を希求しているという点において、インタビュアーは南部のことを「社会起業家」の先駆けであると褒め称える。 さて、本稿はこのような記述を、何らかの事実を持って否定するために提示しているわけではない。むしろここで考えたいのは、このような語りを南部にさせてしまう、あるいはこのような語りがある種の正当性を持って流布してしまう、私たちの社会のあり様のほうである。そしてそれは、前篇で軽く触れた、戦後日本において形作られてきた、開発行政変化の波の根本的要因を示す作業でもあるだろう。