最愛の恋人を飛行機事故で亡くし、重いリウマチに苦しみ、波乱万丈の人生を送った伝説の歌手、エディット・ピアフ。不幸な生い立ちから歌うことでスターに
1989年に漫画家デビュー、その後、膠原病と闘いながら、作家・歌手・画家としても活動しているさかもと未明さんは、子どもの頃から大の映画好き。古今東西のさまざまな作品について、愛をこめて語りつくします!(写真・イラスト◎筆者) 【4コマ漫画】あんたなんか母親じゃない! * * * * * * * ◆映画『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』 先日閉幕したパリオリンピックの開会式で、セリーヌ・ディオンの『愛の讃歌』に感動した方は多いのではないか。私は感動するとともに、すぐにこのエディット・ピアフの映画『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』(原題La Mome)を紹介したいと思った。 シャンソンのほうの『愛の讃歌(Hymne a l’amour)』は、フランスの伝説的な歌手、エディット・ピアフの大ヒット曲。ピアフは最愛の恋人の事故死や重いリウマチに苦しんだ歌手だ。セリーヌ・ディオンも数年の間、最愛の夫の死や、自身の難病罹患のために休業していた。 そんなセリーヌが、久しぶりに聴衆の前で歌ったのが、先日の開会式。難病や悲しみを乗り越えて再び歌う姿が、ピアフと重なった。 さて、話をピアフの映画『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』に戻そう。こちらはマリオン・コティヤールの主演で大ヒットした2007年の映画。エディット・ピアフの本人の歌を織り込んで構成した伝記映画だが、俳優・カメラ・脚本・メークなどすべてにおいて舌を巻く出来だった。 主演のコティヤールは当時余り有名でなく、「芝居はいいが、ギャラもそんなに高くないので都合がいい」と言うのがキャスティング理由の1つだったそう。しかし、撮影当時30代前半の彼女が、20歳から47歳のピアフを見事に演じ分けた。
◆社会の底辺に属する人々に囲まれて育ったピアフ メークアップの力にも驚かされるが、20歳のやんちゃな不良娘と、リウマチや薬物の乱用により40代後半で老婆のようになったピアフは、同一人物が演じたとはとても思えない。コティヤールは翌2008年のアカデミー賞最優秀主演女優賞に輝き、スター女優となったが、納得だ。 歌の部分はピアフの録音だが、会話部分は彼女の肉声だろう。晩年のピアフのだみ声、老婆そのものの声をどう出したのか。特に印象的なのが、絶頂期のピアフの下品な言動だ。高級レストランに取りまきを集め、コンサートの成功を祝うシーンで、「贈り物が欲しい」と店にシャンパンをねだる様は、痛々しいほどに醜い。 しかしそれも、ピアフの育ちを知れば許容してしまう。貧しい夫婦の元に生まれたピアフは、路上の歌手だった母にも祖母にもネグレクトされ、父方の祖母が経営する売春宿に預けられる。社会の底辺に属する人々に囲まれて育ち、ある日、大道芸人の父に連れ去られるようにして巡業の旅に出て、路上で歌ううようになる。 正当な教育を受けることもなく育ち、10代後半では既に路上での売り上げを大人にピンハネされながら生活。また、16歳で若すぎる出産を経験するが、子どもは2歳で夭折した。 しかしピアフは20歳の時、ジェラール・ドパルデュー演じる名門クラブのオーナー、ルイ・ルプレに見いだされ、スター街道を歩み始める。しかし幸運は、ルイが殺されるという事件でストップ。そこから這い上がるために作曲家レイモン(マルク・バルべ)の猛レッスンを受けて劇場デビュー。ジャン・コクトーにオリジナルの戯曲も贈られた。
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