ヴァイオリニスト前橋汀子「『今夜も生でさだまさし』から10年超。チャリティーコンサートでさださんと『精霊流し』をヴァイオリンで弾いたことも」
ヴァイオリニストとシンガー・ソングライター。音楽家としてのかたちは違えど、前橋汀子さんとさだまさしさんは幼い頃から音楽と向き合ってきました。交流が深く、今なお現役で活躍するおふたりが、これまでの道のりを振り返りつつ語り合います(構成=小西恵美子 撮影=岡本隆史) 【写真】17歳で高校中退、ソ連に留学したという前橋さん * * * * * * * ◆何が幸いするかわからない さだ 初めて前橋さんにお会いしたのは……。 前橋 NHKの『今夜も生でさだまさし』におじゃまして。10年以上前になります。 さだ 深夜なのに快くおいでくださって。以来、「生さだ」だけでなく、僕が立ち上げた「風に立つライオン基金」で行っているチャリティコンサートにも出ていただきました。演奏をお願いしたうえに、「精霊流し」を一緒にヴァイオリンで弾かせていただいた。 前橋 前日、軽く合わせましたね。 さだ うちのスタッフが泣いてましたよ、感動して。その時、「僕はヴァイオリンに挫折した人間ですから、人前で弾くのが恥ずかしくて」と言ったら、「挫折してよかったわね」って前橋さんににこやかに言われて。さっきまで泣いていたスタッフが爆笑。おっしゃるとおりです。(笑) 前橋 ヴァイオリンのご縁ですね。さださんはヴァイオリンを習うために長崎から東京に通われて。 さだ 3歳で始めて、小学生からは夏休みに隔週で東京へ。鷲見(すみ)三郎先生の弟子でした。
前橋 あの時代、新幹線はまだなかったから大変でしたね。 さだ 急行列車で片道23時間57分かかりました。 前橋 ヴァイオリンを頑張ってらしたけど、いつしか歌で有名になって。 さだ 高校3年の初めに音楽大学を受験するのは諦めたんです。東京藝術大学を受けるには、浪人しないととても間に合わない状況でしたし、普通の生活のほうが稼げると思って。 前橋 大正解。(笑) さだ 音楽が好きですから、音楽に関わって生きていきたいと思っていました。当時の流行り歌を聴いていると、俺でも書けるんじゃないかって思い上がったんですね。曲はできるけど、詞がないから自分で書く。誰も歌ってくれないから自分で歌う。 大学は國學院大学に行ったんですが、70年安保直後の頃で、学生は誰もがモチベーションを失っていたし、僕も思うように音楽ができなくて心がさすらっていました。居酒屋でアルバイトばかりして、酒飲まされて黄疸が出て、長崎に逃げ帰ったのが歌い始めたきっかけです。 前橋 何が幸いするかわかりませんね。 さだ 高校時代に遊び半分で一緒にバンドをやっていた吉田政美が、プロの世界から長崎に逃げてきたんです。僕の家に1年住み込んで、2人でギター弾きながら歌っているうちに学園祭で歌うことになって。それが広まって、スカウトされちゃったんですよ。(笑) 前橋 すぐにヒット曲が出ましたよね。歌い続けて50年。すごい。
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